「弥陀の本願まこと」は仮定ではない

「弥陀の本願まこと」は仮定ではない

「弥陀の本願まことにおわしまさば、釈尊の説教、虚言なるべからず。仏説まことにおわしまさば、善導の御釈、虚言したまうべからず。善導の御釈まことならば、法然の仰せ、そらごとならんや。法然の仰せまことならば、親鸞が申す旨、またもってむなしかるべからず候か」    (歎異抄二章)

“弥陀の本願がまことだから、唯その本願を説かれた、釈尊の教えにウソがあるはずはない。
 釈迦の説法がまことならば、そのまま説かれた、善導大師の御釈に偽りがあるはずがなかろう。
 善導の御釈がまことならば、そのまま教えられた、法然上人の仰せにウソ偽りがあろうはずがないではないか。
 法然の仰せがまことならば、そのまま伝える親鸞の言うことも、そらごととは言えぬのではなかろうか”

 高森顕徹先生著『歎異抄をひらく』発刊から、平成26年3月で丸6年が経過した。この間、それまで毎年10冊以上出版されていた『歎異抄』の解説書がぱったりと出なくなった。

 過去出版されたものの再版、門外漢の私釈などは時々見掛けるが、浄土真宗の学者、研究者や、それまで『歎異抄』解説を売りものとしてきたような思想家、哲学者たちからは、とんと出ていない。

 なぜだろうか。

 例えば、二章のこの「弥陀の本願まことにおわしまさば」を、ほとんどの解説書は、「弥陀の本願がまことであるならば」と仮定で解釈してきた。ところが、『歎異抄をひらく』では、「『弥陀の本願まことだから』の断定にほかならない」と言い切られている。

 当然、異論反論があってしかるべきだが、それが一向にないのである。できないからであろう。

 なぜなら、『歎異抄をひらく』には、親鸞聖人の主著『教行信証』のお言葉が明示されているからだ。

「誠なるかなや、摂取不捨の真言、超世希有の正法」

“まことだった、まことだった、弥陀の本願まことだった”

 また、親鸞聖人の『愚禿鈔』には

「信受本願 前念命終」

“弥陀の本願まことだったと知らされた一念に、疑情(本願に対する疑い)がなくなった”

とも断言されている。

 同じ『歎異抄』には、

「煩悩具足の凡夫・火宅無常の世界は、万のこと皆もってそらごと・たわごと・真実あることなきに、ただ念仏のみぞまことにておわします」

“火宅のような不安な世界に住む、煩悩にまみれた人間の総ては、そらごと、たわごとであり、まことは一つもない。ただ弥陀の本願念仏のみがまことなのだ”

ともある。

 親鸞聖人の著作はどこも、「弥陀の本願まこと」の讃嘆で満ちている。「弥陀の本願まこと」が、常に聖人の原点であったのだ。その聖人が、仮定で「本願」を語られるはずがないではないか。

『歎異抄をひらく』に、何の反論も批判もないのは当然であろう。



あなたが仏教から学べるたった一つのこと

 

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