去る者も追いかけて逃がさぬ摂取不捨の願心

同朋の里雪景色

「弥陀の誓願不思議に助けられまいらせて往生をば遂ぐるなり」と信じて「念仏申さん」と思いたつ心のおこるとき、すなわち摂取不捨の利益にあずけしめたまうなり。 (歎異抄1章)

“すべての衆生を救う、不思議な阿弥陀如来の誓願によって助けられ、疑いなく弥陀の浄土へ往く身となり、念仏称えようと思いたつ心のおこる時、摂め取って捨てられぬ絶対の幸福に生かされるのである”

 あらゆる人々が探求してやまない人生の目的を、「摂取不捨の利益」と開示し、その達成は、「弥陀の誓願不思議に助けられた時」であり、「往生一定とハッキリした時」であり、「念仏称えようと思いたつ心のおきた時」と、平生の一念であることが明言されている。

「摂取不捨の利益」とは、何か。「摂取不捨」とは文字通り、摂め取って捨てぬことである。「利益」とは幸福のことだから、“ガチッと一念で摂め取って永遠に捨てぬ不変の幸せ”を「摂取不捨の利益」という。「絶対の幸福」ともいえよう。

 人は皆、幸せを求めて生きている。だが、何を手に入れても喜びは長続きしない。やがて色あせ、苦しみ悲しみに変質し、烏有に帰することさえある。挙句の果てに、幸せってそんなものでしょ、とあきらめている。

「生死巌頭にも変わらぬ絶対の幸福に救う」と言われても、そんな幸せ、誰も見聞したこともない。人間が絶対の幸福になどなれるものか、と頭から信じない。想像すらできないでいる。

 だから、弥陀の摂取不捨の誓願を疑い、背を向けて逃げ回っているのだ。

 だが親鸞聖人は、「摂取不捨」とは、そのように逃げ惑う者を、阿弥陀仏がどこまでも追いかけて救う意味だと言われている。果てしのない過去から迷い、苦しみ続ける私たちを、弥陀は憐れみ悲しみ、「見捨てぬぞ。必ず救う」と追いかけ追い込み、逃げ場のなくなるまで追い詰め、絶対の幸福に救い摂ってくださるのである。

「摂取不捨の利益」にあずかった親鸞聖人の感激を、

「誠なるかなや、摂取不捨の真言」

と『教行信証』の冒頭に明記されている。

「去る者は追わず、来る者は拒まず」と聞くと、格好よく聞こえるが、弥陀が、そんな冷たい心だったら誰も助からないのだ。

 本師本仏の弥陀の願心は、背を向けて逃げる者を、「逃がしてなるか、お前を絶対の幸福に救えなかったら正覚(仏の命)を捨てる」と命懸けで摂取してくださる、まことの大慈悲心なのである。

「九つとせ 
 ここに居ながら正定聚、
 光明摂取のあみの中、
 逃げても逃がさぬお慈悲とは、
 ほんに今まで知らなんだ」 (信心数え歌)


語句説明

*【歎異抄】 親鸞聖人のお言葉が記されている、日本で最も有名な古典の一つ。

*【烏有に帰する】 無くなってしまう。

*【正定聚】 必ず、仏になれる身。絶対の幸福。


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