人生の目的

 もし、「人生の目的」がなかったら、大変なことになります。
 生きる意味も、頑張る力も消滅してしまうからです。
 なのに、 「人生に目的なんて、ないよ」 と、言う人が、意外に多いのです。
 本当にそうでしょうか。何か、大事なものを、忘れていないでしょうか。
 1度きりしかない人生、後悔しないためにも、まず、「なぜ苦しくとも、生きねばならぬのか」を考えてましょう。


◆第3章◆歴史の証言

(4)人生の目的を探求された 若き日の釈尊

 約2,600年前、ヒマラヤ連峰の南麓、カピラ城に、「人生の目的」を真剣に探求し、苦悩する1人の若者があった。その名を、悉達多(シッタルタ)太子という。
 この方こそ、後に仏教を説かれた釈迦牟尼世尊(しゃかむにせそん)である。
 釈尊は、カピラ城主、浄飯王(じょうぼんおう)の長子として生を受けられた 。太子であるから、生まれながらにして、将来の地位も名誉も財産も約束されていた。幸せな人生が待っていたはずである。

 ある年、浄飯王は、悉達多太子を伴って、国内を巡視された。豊かな収穫を喜ぶ人民の姿に、王は大層満足の態であった。
 のどかな風景の中で、太子が、農民に目をやられた時、耕した土の中から出てきた虫を、小鳥が飛来してついばんだ。何げない自然界の光景であるが、太子の心は、強い痛みを覚え、 「ああ、哀れなものだ。生き物は互いに食みあっている」と嘆息され、傍らの林に入り、大樹の下に座って、沈思黙考されたという。
 弱肉強食は、動物の世界だけではない。生きるために、弱者が虐げられ、強い者が生き残る。現に、カピラ城を取り巻くインド諸国でも、興亡をかけた戦乱が繰り返されてきたではないか。
「人は、なぜ生きるのか。人生の目的は何か」
 太子の思索は、この一点に行き着かれた。
 浄飯王は、瞑想に沈みがちな太子を見て、「わが子が出家するのでは」と、極度に恐れられた。後継者なくして、この国に未来はない。

 そこで、結婚させれば出家の志を捨てるだろうと、太子19歳のころ、ヤショダラ姫を迎えて妃とされたのである。一方で出家の希望を募らせつつも、愛妻ヤショダラ妃の優しい情のもとに、家庭生活は10年ほど続いた。
 浄飯王は、太子の気持ちを陽気に引き立てようと、春夏秋冬の、それぞれの季節に適した御殿を造営し、太子の住居とされた。その美しいこと限りなく、宮殿を巡る池の水はさざ波をうち、いつも清らかな蓮の香りに包まれていた。その上、500人の美女をかしずかせ、昼夜、舞いや音楽を奏でて太子を楽しませようとした。

老・病・死   避けられぬ 人間の姿

 ある時、東の城門を出られた悉達多太子は、道に歯が落ち、腰は曲がり、杖にたよって歩く哀れな老人の姿を見て、人間誰しもやがて必ずあの姿になり、老苦にあわねばならないのだ、と衝撃を受けられた。
 また、ある日、南門を出て病人を見、西門を出られて死人を見て、いよいよ人生の無常を痛感された。
 将来、国王となり、国中の宝物が自分のものになれば、それで本当に幸せになれるのか。年老いて、体の自由がきかなくなったときでも、その喜びは続くだろうか。
 どんな地位、名誉、財産も健康であって初めて喜べるのではないか。病気にならない保証はどこにもない。
 すべての人間は必ず死んでゆかなければならない。死に直面したとき、心の明かりになるものが1つでもあるだろうか。 たとえ、国王であれ、財産家であれ、一般庶民であれ、人間である以上、老病死の苦悩から解放されることはないのだ。ならば、人間は苦しむために生きているのか。どんなに苦しくても、人は、なぜ、生きねばならぬ のか。人生の目的は何か……。
 美女の歌舞音曲、贅沢の限りを尽くした御殿、山海の珍味……、物質的には恵まれながらも、生きる目的の分からぬむなしさから、悉達多太子の煩悶は続いた。

 最後に北門を出られた時、法服修行の出家を見て、何を犠牲にしてでも、人生の目的を探求することが先決ではないか、と決意されたという。
 自らの進むべき道をハッキリ知らされ、喜びに満ちていらした時、使者が王子の出生を告げた。
 悉達多太子は、 「私の破らなければならぬ新たな障りが生まれた」 と仰せられたという。

深夜の出城入山

 愛する妻子を残して1日の疲れを休めようと、悉達多太子は、宮殿の椅子に、ゆったりと寄りかかられた。多くの美しい舞姫たちは、太子を慰めるために、調べに合わせて舞ったが、太子はいつしか、うとうとと眠りに落ちてしまわれた。
 彼女たちはこれを見て、舞い、歌う張り合いがなくなり、楽器を横たえ、同じように眠ってしまった。後は、香油を燃やした灯火だけが静かに瞬いて、室内がシーンと静まりかえった。
 太子は、ふと眠りから覚めて、辺りを見回された。静かな夜、美しい宮殿、香りゆかしい灯火、けれども何という浅ましい舞姫たちの姿であろうか。口からよだれを流し、歯をかみ、うわ言を言う。女のたしなみを忘れ、衣装を乱し、体を崩して、眠りをむさぼっている様は、華やかな王宮を墓場のような光景に変じていた。
 この舞姫たちの姿こそ真の人間の姿だと気づかれた太子は、直ちに城を出ようと決心され、車匿(しゃのく)に、 「すぐ出家するから馬の準備をせよ」 と命じられた。
 最後に、ヤショダラ妃の寝室へ行かれ、静かに扉を開いて見られると、やや暗い灯火の光を受けて、妃は、その腕に幼い子を抱いて、安らかに寝ていらした。
「この子を抱いて別れを惜しんだら、きっと、妃が目を覚まし、私の出家を妨げるに違いない。それより、人生の目的を果たしたあとに、この子を見たほうがよい」 とうなずかれ、悲痛断腸の思いで愛馬にまたがり、夜半ひそかに城の大門を出られたのである。
 時に太子、29歳の2月8日のことであった。

 王宮を出られた太子は、道を東南にとられ、夜明けに、ある河畔にさしかかられた。
 太子は衣服を脱いで車匿に与えられ、父王や妃に伝言を頼まれた。
「人は皆、恩愛の情にひかれるが、結局、老病死によって必ず別れの時が来る。苦悩の根源を断ち、真実の幸福になることこそ、人生の目的である。私は、全人類が真実の幸福に救われる道を求めて修行せずにおれない。それが、真に家族や国民を救うことになるのだ。お前は、早く帰って、皆にこの心を伝え、再会できる日を待っていてくださるよう、慰めてあげてくれ」
 車匿は泣いて、ともに出家を願ったが、ついに許されなかった。
 愛馬まで、前足を折って別れを悲しんだが、太子は、右手に剣を抜き、左手にもとどりを握って髪を断ち、修行に入られたのである。

おまえたちには分からないのか  あの激しい無常の嵐が

 一方、太子出城後のカピラ城の騒ぎは、実に、たとえようのない有り様であった。父王の驚きはもとより、ヤショダラ妃の悲しみにいたっては、まことに気も狂わんばかりであった。
 浄飯王は、自ら太子を呼び戻しに行くと決心し、車匿に案内を命じられた。群臣は大いに驚き、「自分らが誓って太子をお連れします」と王をひきとめた。直ちに数名の青年が選ばれ、太子の跡を追った。
 一行は、鬱蒼とした路傍の大樹の下で瞑想にふけっていらっしゃる悉達多太子を発見した。太子の前にひざまずき、カピラ城内の模様を詳しく語り、帰城を懇願したのである。
「世に出家の動機には4とおりあると聞いています。長い病苦で歓楽を満たすことができないとか、老人になって身の自由と希望を失ったとか、財物を失い生活に困窮しているとか、家族に死別して世をはかなむからだと聞いています。しかし、太子さまの場合は、この4つともあてはまりません。年若く壮健な時に家富み、家族の人々にも別に変わりはないのに、なぜ若き楽しみを捨てて一衣一鉢の姿になられ、遠きさとりを求められるのか、私たちには一向に分かりません。どうしても太子さまの心持ちが分からないのです……」
 涙ながらに訴える使者に、悉達多太子は、毅然として述べられた。
「おまえたちには分からないのか、あの激しい無常の嵐が、まだ分からないのか。ものはみな常住しないのだ。いずれの日にか衰え、いずれの日にか滅ぶのだ。快楽の陰にも無常の響きがこもっているのだ。美女の奏する弦歌は欲をもって人を惑わすのみだ。三界は悩みのみ、猛き火のごとく、浮かべる雲のごとく、幻や水泡のごとし。若きを愛すれど、やがて老いと病と死のために壊れ去るのだ」
 火の玉の如き太子の決心に、使者たちはどうすることもできず、涙をのんで帰城し、太子の決意を父王に伝えたという。
 かくて、悉達多太子の、峻厳な求道が始まったのである。
 仏教と聞くと、すぐに葬式、法事、墓番などを連想するが、釈尊の出家の動機には、死人の後始末など微塵もうかがえない。
 若き日の釈尊は、私たちが必死に求めているもののすべてを、持っておられた。我々がその中の1つでも得ることができれば、どんなに幸せであろうか、と固く信じているものの全部を持っていらした。しかもなお、満足できない自己の魂の叫びに驚いて、それら一切を投げ捨てて、入山学道なされたのは、「生きがい」を「人生の目的」と誤認して生き続けている私たちへの警鐘に他ならない。 「人生の目的」の探求こそが、仏法の出発点なのである。

あなたが仏教から学べるたった一つのこと



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