人生の目的

 もし、「人生の目的」がなかったら、大変なことになります。
 生きる意味も、頑張る力も消滅してしまうからです。
 なのに、 「人生に目的なんて、ないよ」 と、言う人が、意外に多いのです。
 本当にそうでしょうか。何か、大事なものを、忘れていないでしょうか。
 1度きりしかない人生、後悔しないためにも、まず、「なぜ苦しくとも、生きねばならぬのか」を考えてましょう。


◆第4章◆ 生命

(6)「生まれてこなければよかった」  少女『あすか』の悲鳴

 命の尊さを否定する、痛ましい事件が相次いでいる。
 児童虐待、通り魔、少年の凶悪犯罪……。
 これらの事件の根底から聞こえてくるものは何か。そこには、共通した『心の叫び』がある。
 悲鳴にも似た声に耳を傾けよう。
「おまえなんか、生まなければよかった」 と、誕生日に、母親から言われたら、どんなに悲しいことか……。
 11歳の少女・あすかは、衝撃のあまり、言葉を話せなくなった。
 実話をもとに、カウンセラーの青木和雄氏が書いた児童小説『ハッピーバースデー』(金の星社)がベストセラーとなり、大人にも大反響を呼んでいる。アニメも制作され、生きる意味を問う作品として注目を集め、上映会が各地で展開された。
  その一部を紹介しよう。

 あすかの視線を受けて、直人(兄)はふっと鼻で笑った。
「かけてもいいぜ。ママはさ、おまえの誕生日のことなんか、すっかり忘れてるよ」
 そういうと直人は、スプーンに山盛りにしたカレーを、大きく開けた口の中におしこんだ。口を動かしながらも、直人は動揺するあすかのようすを楽しそうに見ている。
「そんなことないよ。ママは、あすかの誕生日を忘れたりしないよ」
 細い指でのどをつまみながら、あすかはかすれた声でいった。
 あすかの心は、悲しみやつらさでいっぱいになると、焼けつくように痛みだす。息ができないほどに痛くなる。心が痛くなると、いつのころからか、あすかはのどをつまむようになった。
 心の痛みがますにつれて、のどをつまむ力もだんだん強くなり、あざができるほどだった。それでも、心の痛みよりはずっとましだった。あすかは、体に痛みを加えることで、心の痛みを忘れようとした。
 直人は、クックッとのどをならして笑った。
「おまえさ、算数のテスト、20点だったんだってな。理科は12点だったけか。おまけに授業はうわの空で、先生にしかられたそうじゃん。そんなバカな子は、ママ、きらいだってさ。あすかなんて、生まなきゃよかったっていってたぞ」
 あすかの見開いた目に、みるみる涙があふれる。あすかは、ふるえる手でグラスをつかむと、直人の顔に、思いっきり水をかけた。
「何すんだよ。信じらんねえ、このタコ!」
 不意をつかれてよけきれなかった直人は、頭から水をかぶった。
 あすかは、すばやく自分の部屋ににげこんだ。
 胸をギュウとしぼられるような痛さに、あすかののどから、犬の遠ぼえのようなうめきがあがる。息苦しさに、気が遠くなりそうだった。
――おにいちゃんなんか、大っきらいなんだから……。
――ママが、あすかを生まなきゃよかったなんて、いうはずないじゃない……。
――あすかだって、おにいちゃんとおんなじ、パパとママの子だもの……。
――おにいちゃんなんか、死んじゃえばいいんだ……。
 ドアの前に直人よけのバリケードを築きながら、あすかは直人をのろった。
 泣きながら、あすかはいつのまにか眠ってしまった。
 深夜、ふと目ざめたあすかの耳に、直人とママの話し声が聞こえてきた。
「あいつにさ、水、ぶっかけられたんだよ」
「ひどいことするのね、あすかは。まったくどうしようもない子だわ」
 お酒が入ったママの声は、ふだんよりずっと大きくかん高くなっている。
「ママがあすかの誕生日を忘れたからってさ、なんで、ぼくが水をかけられなきゃいけないんだよ」
「あっ、そうか。きょうだったんだ。あすかの誕生日」
「やっぱり、忘れてた」
「だって忙しかったんだもの。でもねえ、お誕生日をしてほしかったら、あすかも努力すべきよ。直人くんみたいに、お勉強もできていい子だったら、ママ、絶対に忘れないのに。あすかは、何をやらしてもだめなのよね。直人くんと比べて、何ひとつ、いいとこないんだもの。ああ、あすかなんて、ほんとうに生まなきゃよかったなあ」
 ママのことばに、あすかの心は、ひりひりと焼けつくように痛くなる。
――ママのいじわる……。
――ひどいよ、ママ……。
 声に出していったつもりなのに、かすれた息の音しかしなかった。自分の耳にさえ届かない声のたよりなさに、あすかの心は、不安と悲しみではりさけそうだった。高鳴る心臓の鼓動に、降りだした雨の音が重なった。
 あすかはベッドからおりて、そっと窓を開けた。
 雨の香りがふわっと部屋にとびこんできた。窓から身をのりだして、あすかは思いっきりさけんだ。
――助けて。
――だれか、あすかを助けて!!
 あすかのさけびは、ただ小さな息となって、6月の雨のスクリーンへ吸いこまれていった。
 あすかは声をなくした。さけびはだれにも届かない。涙と雨にほおをぬ らして、あすかはふるえながら、やみの中に立ちつくしていた。

 親は「子供を生まなければよかった」と嘆き、虐待される子供は「生まれてこなければよかった」と親を恨む。
 これほど悲しいことはない。この本が大反響を呼んでいるのは、あすかと、その母の悩みに、共感を覚える人が多いからだろう。
 親は子供に「勉強しなさい!」と叫ぶ。まるで、試験の点数が、人間の価値をも決定するかのように。
 おまけに、成績が悪ければ、他の兄弟姉妹と差別し、子供の全人格を否定するようなことまで、言っていないだろうか。
 露骨に表現しなくても、 「勉強できない子は、ダメな人間だ。存在価値がない」 と言っているのと同じになる。
 子供に、努力精進を教えねばならぬのは当然だが、学校の成績と、人間として「生きる意味」は、まったく別のものなのだ。

 

(7)『テスト戦争』  幸福を左右するものは何か

「人生の目的」を知らない大人の考え方が、子供に深刻な影響を与えている。
 昭和60年に、「テスト戦争」という一文を残し、小学5年生の杉本治君が、高層団地から飛び降り自殺した。
 それは、次のような文面だった。

紙がくばられた
みんなシーンとなった
テスト戦争の始まりだ
ミサイルのかわりにえん筆を打ち
機関じゅうのかわりに消しゴムを持つ
そして目の前のテストを敵として戦う
自分の苦労と努力を、その中にきざみこむのだ
テストが終わると戦争も終わる
テストに勝てばよろこび
負ければきずのかわりに不安になる
テスト戦争は人生を変える苦しい戦争
 
勉強してどうなるのか、やくにたつ、それだけのことだ、勉強しないのはげんざいについていけない、いい中学、いい高校、いい大学、そしていい会社これをとおっていってどうなるのか、ロボット化をしている。
こんなのをとおっていい人生というものをつかめるのか。

 これが、小学5年生の書いたものとは、驚きである。
 子供の目は素直だ。もし、治君に、 「大人は、一生懸命に勉強せよと言う。じゃあ、いい大学、いい会社に入った大人は幸福になっているの。エリートコースを進んだ人が自殺しているじゃないか。同じ道を通ったはずの両親だって、家の中では、不平不満ばかり言っているよ。何のために勉強するの。勉強すれば、本当に幸福になれるの」 と、問われたら、何と答えるか……。

 納得のいく説明は「人生の目的」を解明しない限り、決してできるものではない。
「何のために生まれてきたのか」この「人生の目的」は、能力や才能の有無に関係なく、すべての人間に、平等に課せられたテーマなのである。

 

(8)『透明な存在』 「酒鬼薔薇」少年の告白

「人生の目的」を見失った教育のひずみが、少年の凶悪犯罪を生み出す原因になっていると、言っても過言ではない。
 その顕著な例が、神戸で起きた小学生殺害事件である。
 平成9年5月27日早朝。中学校の正門前に、切断された男の子の頭部が置かれていた。
 あまりにも、残虐で、異常な事件である。
 犯人は、「酒鬼薔薇聖斗」と名乗る14歳の少年だった。新聞社へ送られた声明文には、次のように記されていた。
「やろうと思えば誰にも気づかれずにひっそりと殺人を楽しむ事もできたのである。 ボクがわざわざ世間の注目を集めたのは、今までも、そしてこれからも透明な存在であり続けるボクを、せめてあなた達の空想の中でだけでも実在の人間として認めて頂きたいのである」
 この中の「透明な存在」という言葉こそ、「何のために生まれてきたのか」「何のために生きているのか」さっぱり分からない『いらだち』を如実に表現したものだ。人生の目的が分からない『いらだち』が、少年を、異常な犯罪へと駆り立てたともいえる。
 残虐な犯罪が後を絶たない。
 平成11年12月、京都市・日野小学校の校庭で、2年生の男の子が、刃物で切りつけられ、殺害された。21歳の犯人は逮捕直前に自殺したが、高校時代の友人に、 「何のために生きるのか分からない」 と語っていたと報道されている。この事件の背景にも、人生の目的が分からない『いらだち』があることは間違いないようだ。
 まさに、「人生の目的」の明示こそ、混迷を深める現代に、最も急がねばならぬ課題であるといえよう。

 

(9)『人生には尊い目的がある』 「唯我独尊」の真意

「人生の目的は、あるのか、ないのか」……、この難問に、ハッキリ答えられたのが、仏法を説かれた釈尊であった。
 釈尊は、 「天上天下、唯我独尊」 と、おっしゃっている。 多くの人は、 「この世でいちばん偉くて尊いものは、自分1人である」 と、釈尊が威張られたお言葉のように思っているが、たいへんな間違いである。
「天上天下、唯我独尊」 は、決して、思い上がりや、うぬぼれから、おっしゃたものではない。
「天上天下」とは、この大宇宙を指す。
「我」とは、釈尊だけではなく、私たち人間1人1人のことである。
「独尊」とは、「たった1つの尊い目的がある」という意味で、自分1人が偉いということではない。
  だから、 「天上天下、唯我独尊」 とは、 「我々人間は、大宇宙広しといえども、たった1つの、尊い目的を果たすために、この世へ生まれてきたのだ」 という意味である。
 言い換えれば、 「人生には万人共通の目的がある。どんなに苦しくても、その目的を果たすまで、死んではならない」 と力強く断言されたお言葉なのだ。
 その目的とは、苦悩の根源を断ち切り、『本当の幸福』になること以外にない。まさに、全人類が、日夜、真剣に追い求めているものである。
  釈尊一代の教えは、今日、七千余巻の経典として残されている。その膨大な一切経には、 「苦悩の解決は、どうすればできるのか」 「救われた境地は、いかに素晴らしい幸福か」 が、明らかに記されているのである。


(10)人命は、なぜ尊いか 盲亀浮木の譬え<

 なぜ、人命は尊いのか。釈尊は、次のように断言なさっている。
「人身受け難し、今已に受く。
 仏法聞き難し、今已に聞く。
 この身今生に向って度せずんば、
 さらにいずれの生に向ってか、
 この身を度せん」

 まず、「人身受け難し」、人間に生まれることはたいへん難しいことだとおっしゃっている。
 では、どれほど有り難いことなのか。釈尊は、『雑阿含経』に、盲亀浮木の譬えで教えられている 。
 ある時、釈尊は、お弟子に、次のように尋ねられた。
「たとえば広い海の底に、目の見えない1匹の亀がいたとする。その亀は100年に1度だけ、波の上に浮かび上がってくるのだ。海上には1本の木が流れていて、その木の真ん中に、亀の頭がやっと入るほどの穴が1つ開いている。100年に1度浮かぶこの亀が、ちょうど浮いている木の穴から頭を出すことが1度でもあるだろうか」

 阿難という弟子は、 「そんなことはほとんど考えられません」 と答えた。
 すると、釈尊は、 「だれでも、そんなことは、まったくありえないと思うだろう。しかし、まったくないとは言い切れない。人間に生まれるということは、今のたとえよりも、さらにありえぬ難いことなのだ」 とおっしゃっている。
 私たちは、自分が簡単に人間に生まれてきたと思っているが、実は、何億年、何兆年に1度、巡ってくるかどうかという、千載一遇のチャンスに、今、恵まれているのである。この命、1度失えば、またいつ人間に生まれられるか、想像も及ばない。
 しかし、いくら、生まれ難い人間に生まれても、苦しみの連続であっては、何の喜びにもならないだろう。気楽に窓辺に寝転ぶ猫や、大空を楽しげに飛び回る小鳥のほうが、ずっとましだろう。
 人間に生まれたことを喜べといわれるのは、人間界でなければ果たせない尊い目的があるからである。
 その唯一の目的とは、苦悩の根源を解決し、絶対の幸福に救いとられることである。
 しかも、その解決は、真実の仏法を聞き求めなければ、決して果たせないと、釈尊は教えられている。
 人間に生まれなければ仏法を聞くことはできないことを思えば、かけがえのない命を自ら絶ったり、欲や怒りのために散らすのは、いかに愚かな行為かが分かる。まして、他人の命を奪うことなど、絶対にあってはならないのだ。

あなたが仏教から学べるたった一つのこと


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