人生の目的

 もし、「人生の目的」がなかったら、大変なことになります。
 生きる意味も、頑張る力も消滅してしまうからです。
 なのに、 「人生に目的なんて、ないよ」 と、言う人が、意外に多いのです。
 本当にそうでしょうか。何か、大事なものを、忘れていないでしょうか。
 1度きりしかない人生、後悔しないためにも、まず、「なぜ苦しくとも、生きねばならぬのか」を考えてましょう。


◆第5章◆ 生と死

(6)「死」――人生の盲点 遺伝子診断からの証言

「死」はいかに、人生の盲点であるか。
 直面するまで、本当の怖さも、重大性も、実感できないとは、あまりにも愚かである。
 NHKスペシャル「世紀を越えて」では、平成12年4月から「いのち」をテーマに特集が組まれている。4月30日に放送された「遺伝子診断、新しい予知医療の光と影」に紹介された2人のアメリカ人に証言台に立ってもらおう。

◆乳ガンを予知された、ナンシーさんの苦悩

「遺伝子診断」とは、遺伝子を調べ、将来、特定の病気にかかる確率を知る先端医療である。
 アメリカでは、現在、700以上の病気の遺伝子診断が可能になり、年間100万件近くも行われている。
 ロサンゼルスのガン専門病院・USCガンセンターでは遺伝子科を設け、乳ガンと卵巣ガンの遺伝子診断を始めている。遺伝子科を訪れるほとんどの人は、健康な女性である。ガンになりやすい遺伝子があるかどうかを調べ、予防に生かすためである。
 ナンシー・プラウザさんは、3年前に、遺伝性乳ガン、卵巣ガンの診断を受けた。48歳のナンシーさんが、当時、診断を受ける決意をしたのは、両親の病気がきっかけだった。母親は20年前、58歳で乳ガンになり、その後、すぐに亡くなった。父親も7年前、男性ではまれな乳ガンを発病し、遺伝性であると診断を受けた。
 果たして乳ガンを引き起こした両親の遺伝子を、自分が引き継いでいるのか。
「ガンになるのかならないのか、ハッキリ知りたい」 という思いから、ナンシーさんは診断を受けた。
 その結果、遺伝子に異常が見つかった。70歳までに乳ガンになる可能性は、84パーセント、卵巣ガンになる可能性は27パーセントと宣告されたのである。
 ナンシーさんは語る。
「まるで何かに殴られたように感じました。とてもショックで、うろたえました。乳ガンですと言われたわけではないのに、乳ガンであることを告知されたように感じたのです」
 診断から1カ月後、少しずつ落ち着いてきたナンシーさんに、医師から、予防のための方針が3つ提示された。
 1つめは、頻繁に診断を受けてガンの早期発見を目指す。
 2つめは、乳ガンの予防のために開発された薬を試す。
 ナンシーさんは、この2つではなく、最後に提示された方法をとる決心をした。 それはガンになる前に、乳房と卵巣を切除するというものであった。ガンの恐怖から逃れるにはこの方法しかないと考えたのだ。診断を受けてから7カ月後のことだった。
「手術を受けたくはありませんでした。つらい手術ですし、また、醜い姿になるのも嫌でした。しかし、手術を受けて、不安は、はるかに小さくなりました。毎朝、目が覚めるたびに、今日こそ、乳ガンが見つかるのでは、と恐れることもなくなりました。ですからこの決断は、私にとって最善の決断だったと思っています」
 ナンシーさんは、重荷を下ろしたような笑顔で語っていた。
 彼女の勇気に、多くの人は拍手を送るだろう。

 しかし、ここで考えてみたい。ナンシーさんが本当に恐れていたものは何だったのか。それが切除手術で解決したのか……。
 ナンシーさんは、84パーセントの確率でガンになると宣告され、恐怖のどん底へ突き落とされた。
 だが、それは「ガン」が怖かったのだろうか。ガンが簡単に治る病気ならば、少しも恐れなかったであろう。
 ガンになったら死なねばならない。死に直結するから、殴られたようなショックを受けたのではないか。
 発病したら死ぬ。そう思うから、毎朝、不安だったのではないのか。
 つまり、「ガン」が怖いと思うのは錯覚であって、本当は、その奥にある「死」が怖かったのである。
 ナンシーさんは、確かに、乳ガンになる可能性はなくなったかもしれない。だけど、他の病気で死ぬ可能性は少しも減っていない。乳ガンで垣間見た「死の恐怖」とまったく同じ心境を味わう日が、将来、必ず来るのだから、本質的には何も解決されていないのだ。
 全人類の体には、「必ず死ぬ遺伝子」が、平等に組み込まれているといってもいいだろう。
 ガン発症率を問題にすることも大切だが、100パーセント発症する「死」への対処が、ほとんどなされていないのは、まさに人類の盲点である。

◆不治の病を予知された、ジェフェ氏の絶望

 アリゾナ州に住む、34歳のブラッド・ジェフェ氏は、遺伝子診断で、早期発症型アルツハイマーを将来発病すると宣告された。
 この病気は若くして脳細胞が萎縮(いしゅく)し始め、痴呆(ちほう)の症状を起こし、死に至る病である。発病を遅らせることも治療することもできない。
 自分の強い意思で診断を望んだジェフェ氏。しかし、結果が伝えられると大きな衝撃を受けた。
「こんなことになるなんて不公平だ。人生は、何のためにあるのか」
 怒りをぶちまけたあと、彼は激しく泣いたという。
 ジェフェ氏は、毎月1回、カウンセリングを受け続けている。
 ふさぎこんだ彼に、カウンセラーは、優しい声で、こう諭す。
「病気を怖がらずにありのままに感じるのよ」
 彼は、深いため息をもらし、首を静かに振りながら答える。
「でも、それは難しい。ありのままに感じたら変になってしまいそうだ。感じることが怖いんだ」
 よく、「死」の壁の前で泣き沈んでいる人に、何の解決の道も示さず、ただ、 「ありのままに受容せよ」 と言う人がある。しかし、それは、あまりにも残酷ではなかろうか。
  相手の心がまったく分かっていない。 「ありのままに感じたら変になってしまいそうだ」 というジェフェ氏の答えが、よく表している。
「死」のもたらす恐怖と絶望は、直面したものでなければ理解できないからだ。 「一生、逃れることができない遺伝子の重さ、ジェフェ氏は、その重さと向き合いながら、これからの人生を歩んでいくのです」 とNHKは番組を結んでいるが、これは1人、ジェフェ氏のことだけではないだろう。
 ジェフェ氏は、「死に至る病」を科学的に予知されただけである。私たちも、将来、必ず死ぬ。ただ、どんな病気で死ぬか予知できないにすぎない。
 だからこそ、一生、逃れることのできない『死』の重さに向き合って、なぜ生きるのか、真剣に取り組むべきなのである。

 死の不安の影に付きまとわれている人間に、真の幸福が味わえるはずがない。
 独りで、死の恐怖におびえ、生への執着にもだえ、生きがいを見失い、最後には激しい肉体的苦痛など、まったく勝ちめのない苦闘の末、何の解決も得られないまま死んでいかねばならない。
 こんな一大事を、なぜ、人々は、真剣に考えてみようとしないのだろうか。
「人生の目的」を論じるときに、絶対に忘れてはならないのは、「私は必ず死ぬ」という事実である。

 

(7)ある日突然、襲う「死」 『知識』では、越えられぬ大問題

「死」は、ある日、突然、我々を襲う。
 しかも、地震や台風と違って、だれ1人、避けることはできない。100パーセント確実な未来である。
 このことは、だれでも、よく知っているはずなのに、いざとなると、狼狽(ろうばい)するのはなぜか。
「知識としての死」と、「自分の死」は、まったく感じ方が違うからだろう。

◆ガン告知の衝撃 ある女性の手記より

 ある女性が、いつもと変わらぬ平和な日に、大腸ガンの宣告を受けた衝撃をつづっている。その一部を読んでみよう。

 第一外科の診療室へ、呼び入れられた。
 若い医師の、簡単な問診があり、今朝の出血のことを話した。問診は五分余りで終わって、今から、五日前に国立病院で受けたX線検査を調べますから、外で待っていてください、と言った。
 わたしは、外科の待合椅子の一番うしろに空いた席を選んで座り、病院へ行った時いつもするように、手さげから文庫本を出して読みはじめた。
 次に、すぐ耳元で名を呼ばれた時、顔を上げてみて、長椅子にぎっしりと並んでいた患者達が、前の2、3列を残して、ほとんど居なくなっているのに気がついた。
 壁の時計は十一時をまわっている。ここへ来て、二時間余りが過ぎたのである。
「どうも、お待たせしました」
 さきほどの、若い外科医は、体をかがめると、わたしに寄り添うように、長椅子へ斜めに腰をおろした。
「これから、ちょっと検査をします。その前に、もう少しくわしく、今までの症状を聞かせてくださいませんか」
「わたしの大腸の写真に、何かあったのでしょうか」
「ええ、そうです」
 まだ、三十を少し出たばかりのようにみえるその医師は、緊張した表情をしていた。
「じゃあ、痔では、なかったんですね」
「そうです」
「取らなければ、いけませんね」
「ええ、たぶん」
 わたしの〈告知〉は、このようにして始まった。
 そして、わたしは、この短い会話によって、その核心の部分を、正確に察知していた。ただ、それは、この瞬間には、ごく単純な〈知識〉として理解したにすぎない。
 わたしは、まだ、少しも動揺してはいなかった。
 医師もまた、そこへ来た目的だけを、果そうと努めていた。
「今から、もう少し、検査をします。その前に、お聞きしたいことがあります」
 広いホールの中を、急ぎ足で、あるいはゆっくりと、横切っていく人がいる。
 しかし、総合待合室の長椅子に座って、書類を膝に置いた白衣の医師と、患者らしい初老の女が、向かいあって話し込んでいるという光景は、ここでは別に珍しいことではない。誰も2人に注目する者はいない。

 わたしは、真っすぐに医師の眼を見ていた。そして、医師もまた、少しもひるまずに、そのよく光る知的な眼で見返していた。ちょうど親と子ほどに年のひらいた医師とわたしとの間には、濃密な、親愛の気配が流れていた。
「いつごろから、出血がありましたか」
「はっきりと分かったのは、先週の木曜日に注腸検査を受けて、二日ほどしてからです」
「それまでに、何か、気がついたことがありましたか」
 わたしは、その時、初めて、容易ならざる事態が、自分の体に起こっていることに気づいたのだ。
 不意に、今まで立っていた足の下の地面が音もなく崩れ落ちた。
 船底の腐った板を踏み抜いたような、あるいは、雪山の裂け目へひと足踏み出してしまったような空虚が、体を襲った。
 わたしは、底なしの谷を落下していた。
 体温が、冷えていく。こめかみが冷たい。
 唇も、鼻腔も、喉もその奥の内臓まで、紙のように渇いていく。
(戻ることは、できない) と、わたしは、感じた。
(もう、助からない。もう、地上へは、もどることはできない)
 絶望に打ちのめされていた。
(……しかし、なぜ、このわたしが、標的にされたのか。誰でもない、この、わたしが)
 それは、無差別爆撃に似ていた。
 わたしは、六十余年の今日までに、幾度も、間違った道を選んでしまった、と悔いたことはある。進学、就職、結婚、出産、夫の転勤、診療所の開設、息子の巣立ち。そんな人生の節目を、何とか辛抱を重ね、全力を尽くして切り抜けることができた。だから、六十を越えた今は、人並みの平和な家庭、穏やかな老後を迎えることができたと思っていた。これからの二十年は、いささか退屈ではあるが、もう変わりようもない日々がずっとあるばかりだと、信じ込んでいた。
 その先が、目の前が、切り棄てられて見えない。何もない。つかまるものがない。助かる道がないのだ。
(磧塔ちづるさんの手記より抜粋。日本ペンクラブ編『見慣れた景色が変わるとき』収録)

 この女性だけではない。だれもが、自分自身の、平均寿命までの老後を思い描いているだろう。しかし、「死」は、情け容赦(ようしゃ)なく襲ってくる。決して、待ってはくれない。現在の生活を根底から覆す大問題なのだ。
 にもかかわらず、直面するまで、その一大事性が実感できないところに、人間の悲劇がある。

(8)命の長さ 釈尊のたとえ

 釈尊は、ある日、修行者たちに、命の長さをお尋ねになっている。返答はまちまちであった。
「命の長さは5、6日間でございます」
「命の長さは5、6日なんてありません。まあ、食事をいたす間くらいのものでございます」
「いやいや命の長さは一息つく間しかありません、吸った息が出なかったらそれでおしまいです」
 釈尊は最後の答えを称賛され、
「そうだ、そなたの言うとおり命の長さは吸った息が出るのを待たぬほどの長さでしかないのだ。命の短さがだんだんに身にしみて感じられるようになるほど、人間は人間らしい生活を営むようになるのだ」
と教えられたと『四十二章経』に記されている。
 私たちは、いつまで生きていられると思っているだろうか。
 明日、自分が死ぬとは、決して思えないだろう。
 しかも、明日になれば、また、その次の日には死なないと思う。
 この繰り返しで、私たちは、いくつになっても、 「明日は死なないだろう」 と思っている。
 この迷妄(めいもう)を破り、真剣に「死」を見つめ、「人生の目的」達成へ向けて進まねば、本当の幸福は得られないのである。

あなたが仏教から学べるたった一つのこと


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