人生の目的

 もし、「人生の目的」がなかったら、大変なことになります。
 生きる意味も、頑張る力も消滅してしまうからです。
 なのに、 「人生に目的なんて、ないよ」 と、言う人が、意外に多いのです。
 本当にそうでしょうか。何か、大事なものを、忘れていないでしょうか。
 1度きりしかない人生、後悔しないためにも、まず、「なぜ苦しくとも、生きねばならぬのか」を考えてましょう。


◆第6章◆ 苦悩の根元

(1)豊かさ=幸福? 20世紀が証明したもの

 山のあなたの空遠く
 「幸」住むと人のいう
 噫、われひとと尋めゆきて
 涙さしぐみ、かえりきぬ
 山のあなたになお遠く
 「幸」住むと人のいう
       (カール・ブッセ)


 上田敏が、『海潮音』の中でこの詩を日本に紹介したのは、明治38年(1905)だった。
 幸せは山のはるかかなた、いくら望んでも手に入らない。そんなあきらめが共感を呼んで有名になった詩である。
 人は皆、幸福を求めている。「豊かになれば幸福になれる」と信じ、人類は、さまざまな努力を積み重ねてきた。その結果、20世紀は、かつてないほどモノがあふれ、快適な生活が実現した。
 今やカラーテレビが一家に何台もあって娯楽を提供してくれる。果たして白黒テレビの時代より、家庭に幸せな声があふれているだろうか。
 台所には、電子炊飯ジャーや電子レンジ、冷蔵庫が並び、掃除、洗濯にも便利な機械が続々登場している。主婦の手間が省け、楽にはなったが、幸福になったといえるだろうか。
 交通機関の発達はめざましく、高速道路や新幹線を利用すれば、どこへ行くにも大幅に時間が短縮された。海外旅行も当たり前の時代になった。飛行機を活用すれば、地球の反対側へも1日余りで着いてしまう。技術革新は急速に進んでいるが、それで人類は、幸福になれただろうか。 「便利になったが、幸福とはいえない」というのが正直な思いだろう。


モノがあふれ、快適な生活が実現したが……

 それどころか、モノの豊かさに逆行するように、年々、自殺者が増えている。平成10年、日本では初めて3万人を突破した。1日平均約90人が自ら命を絶った計算になる。
 これは何を意味するのか。「金や物が豊かになれば、幸福になれる」という考えが、深い迷信であることを、20世紀は証明したといえよう。
 しょせん、幸せは、山のはるかかなた、手の届かないものと、アキラメルしかないのだろうか。
 この現実を踏まえ、世の知識人たちから、次のようなアドバイスを、よく耳にする。
「幸福ということについて、あまり貪欲になってはいけない。いま与えられてあるものに、感謝していくのが大切だ」
 欲を出さずに、感謝しなさい、というワケだ。節度を守るのは大切な心がけには違いないが、苦悩の解決には程遠い。
 幸福を求める我々が、まず第一になすべきことは、苦悩の原因を、正確に知ることである。原因を見誤って、どれだけ一生懸命努力したところで、解決には結びつかない。
 ちょうど、病気になったら、その原因を突き止め、悪因を排除し、治療しなければ健康になれないのと同じである。
 肝臓が悪いといいながら、酒ばかり飲んでいたのでは、いつまでたっても良くならないだろう。悪因を絶つ努力をしなければならない。
 同じ腹痛でも、冷えたのが原因ならば温めてもよいが、盲腸炎の場合、温めたら逆に悪化してしまう。原因によって対処がまったく違ってくるのだ。
「なぜ、幸福になれないのか」
「なぜ、苦悩から離れ切れないのか」
 この原因を真剣に探求することが、幸福への第一歩である。

(2)有っても無くても苦

「金や物が豊かになっても、人間は幸福にはなれない」
 人類が、20世紀に到達した、この結論は、2,600年前、すでに、釈尊によって明らかにされている。

「田あれば田を憂え、宅あれば宅を憂う。牛馬・六畜・奴婢・銭財・衣食・什物、また共に之を憂う。有無同じく然り」 (大無量寿経)

 この経文は、次のような意味である。
『 有れば有ることで苦しみ、無ければ無いことを苦しむ。
 有れば有ることで憂(うれ)え、無ければ無いことを憂(うれ)う。
 親・兄弟・妻子・田畑・財宝・金・名誉・地位など、それは一切に通ずる。
 ゆえに憂(うれ)いは、有る者も無い者も同じなのだ』
「有無同然(うむどうぜん)」の仏説を実証する事例は世の中にあふれている。
 20年ほど前になるが、アメリカのシーラーさんの話は有名である。
 独身女性のシーラーさんは、「お金があれば幸福になれるに違いない。自分は、貧乏だから苦しいんだ」と思い、夢を託して宝くじを買った。なんと5,500万ドル(当時約74億円)の大当たりを射とめてしまった。これで人生はバラ色と、天にも舞う心境である。
 ところが、当選発表のあった日から、シーラーさんの家の電話は鳴りっぱなし。結婚の申し込みが殺到したのである。アメリカ各地からだけでなく、オーストラリアからもプロポーズの電話がかかったという。断り切れないシーラーさんは、ついに、家の電話番号を変えざるをえなかった。 「うれしい悲鳴」と笑ってはいられない。シーラーさんは独身といっても当時63歳だった。なぜ、その年になって急にもてるようになったのか。なぜ、会ったことも、声を交わしたこともない男性から結婚の申し込みが殺到したのか。魂胆(こんたん)は見え見えである。賞金が目当てなのだ。
 ところが、他人ばかりではなかった。親戚、友人、知人までが、 「お金を少し貸してほしい」 「資産を倍にする方法があるよ」 と言いながら、ニコニコと近づいてくる。だれが、本心から自分のことを考えてくれているのか、さっぱり分からなくなり、シーラーさんは人間不信に陥ってしまった。
「確かに、お金には不自由しなくなったけれど、心が寂しい。だれも信用できなくて、苦しい」 と、しみじみ述懐したという。
「苦は色かわり」とはよく言ったもの。貧乏な時は、お金が無いといって苦しんでいる。では、お金が有り余るほど手に入ったら幸福になれるか。今度は、もうけたお金が原因となって、新たな苦しみが生まれる。
 結局、釈尊が「有無同然」と説かれるように、金やモノは、有っても無くても、多くても少なくても、苦しんでいる姿は変わらないのである。

(3)苦悩の根元を明かす仏法

 2,600年前、インド最強のマガダ国の首都・王舎城にも、「有無同然」の苦しみを味わっている国王夫妻があった。
 最初は、子供のないことを苦しんでいた2人であったが、念願がかなって男の子が生まれてから、さらに苦しみが大きくなった。成長するにつれ、親を親とも思わぬ凶暴な子供になっていったからだ。
 わが子の暴力に、この世の地獄へ転落していった王夫妻は、釈尊のご説法に救いを求めた。
 初めて仏法を聞きに来た王夫妻に、釈尊は、次のように説かれた。

「人々よ。心の頭(こうべ)をたれて、我が言葉を、聞くがよい。
 人は、苦をいとい、幸せを求めている。だが、金を得ても、財を築いても、常に苦しみ、悩んでいる。
 王や貴族とて、皆同じである。それは、なぜか。苦しみの原因を、正しく知らないからである。
 金や名誉で、苦しみはなくならぬ。無ければ無いで、苦しみ、有れば有るで、苦しむ。有無同然である。毎日を不安に過ごしている。たとえば、子供のない時は、ないことで苦しみ、子供を欲しがる。しかし、子供があればあったで、その子のために苦しむ。
 この苦しみの原因は、どこにあるのか。それは、己の暗い心にある。
 熱病の者は、どんな山海の珍味も、味わえないように、心の暗い人は、どんな幸福も、味わえないのだ。
 心の闇を解決し、苦しみから脱するにはただ仏法を聞くよりない。
 この法を求めよ。心の闇が破れ、真の幸福が、獲られるまで。たとえ大宇宙が火の海原になろうとも……」

 釈尊のおっしゃる「心の闇」とは、後生暗い心である。「無明の闇」ともいわれる。これこそ、苦悩の根元であると教えられている。
 人類の苦悩の根元を明らかにし、その解決の道を教えられたのが仏法なのである。

あなたが仏教から学べるたった一つのこと


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