親鸞会館ご法話参詣者の声(平成20年9月)
「凡聖逆謗斉廻入
如衆水入海一味」(正信偈)
「凡・聖・逆・謗斉しく廻入すれば
衆水の海に入りて一味なるが如し」
万人が同じ喜びの世界へ
煩悩限りなく
東京都 今井有美(仮名)
今回いちばん心に残ったのは「凡聖逆謗斉廻入」(正信偈)の「凡」の解説でした。
「『凡』とは凡夫、凡夫とは、親鸞聖人はこうおっしゃっています」と続くお話の中、私は、自分の煩悩の恐ろしさを見せつけられました。
親鸞聖人ほどの方が「愛欲の広海」「名利の大山」と、ご自分の煩悩を告白しておられるのに、一体、私の煩悩はどれだけ深く広く大きいのか、海や山などでは表現できないだろうと思います。
親鸞会館でのご法話のあとに先輩と復習していると、真剣に聞いていたつもりでも、聞けていなかったと知らされます。それは苦しいことですが、同時に、仏説まことだなあ、親鸞聖人がおっしゃっていることは真実だと知らされ、喜びがわき上がってきます。
仏教を聞けば聞くほど、その深さに、自分の理解などついていかず、分からなくなりますが、真実を知らされる喜びは計り知れないもので、もっと聞きたくなるのです。
「真剣に」などという言葉では足りない、何も聞けない、これからは「今日こそ信心獲得するぞ」という思いで、聴聞させていただきます。
伝えずにおれぬ
吉岡義則(仮名)
煩悩を満たす幸せは、皆が平等であったら喜べない幸福です。金メダルを取ってうれしいのは、金メダリストは世界中でただ1人しかいないからです。すべての人が同じものを得られたら、途端に色あせるのが世間の幸せです。
全人類がひとしく同じ喜びの世界に出られる。しかも、その歓喜を言わずにおれない、伝えずにおれない、同じ幸せな身になってもらいたいという気持ちになるのが、弥陀に救われた世界だと教えていただきました。欲が満たされて助かったという、ちっぽけなものとは次元の違う救いであると知らされました。
自由即平等
山下美佳(仮名)
『正信偈』のご説法をありがとうございました。
大宇宙の諸仏の先生であられる阿弥陀如来は、煩悩を野蛮に外に表さないでいられる 〝聖人〟だけでなく、絶えざる欲や怒り、因果の道理をはねつける心を持った、100パーセント煩悩でできた〝凡夫〟まで救ってくださいます。
大恩ある親を疎ましく思う 〝五逆〟の者や、真実の仏法を説かれる善知識をないがしろにする〝謗法〟の者ですら助けると誓われています。
しかもその救われた世界とは、あらゆる国の万川、清らかな川、汚れた川、大河も小川もすべて海に入れば同じ塩辛い味になるように、凡夫・聖人・五逆・謗法の者が、平等に自由の身になります。
通常、私たちが口にしている「自由」や「平等」は、本当に幸福になれるのかというと、そうではありません。
自由主義経済では、各人の自由な経済活動が保証されますが、大儲けする大企業もあれば、倒産して従業員が路頭に迷う会社もあり、勝ち組・負け組ができてしまいます。
平等を理想とする共産主義では、努力しても怠けても得る結果は同じ、ということで、人々の労働意欲をそぎ、共産主義の中心だったソ連は、崩壊の憂き目に遭いました。
しかし、阿弥陀如来のもたらしてくださるのは、一切がさわりとならない世界、しかも他力によるものだから、万人共通であると知らされます。
万人が求める自由と平等を得られる教えに出遇えたこと、有り難く思わずにおれませんでした。
カナダの青年・平生の救いに仰天
東京都 鈴木拓郎(仮名)
9月の正本堂ご法話の3日前に出会ったカナダの青年(19)が、2000畳の親鸞会館に参詣しました。
『正信偈』のご説法を通訳なしで聞き、「この世でハッキリ救われる、こんな凄い救いは聞いたことがない」と驚いていました。
10歳の時にどうしても日本語を学びたいと思い、14歳の時から高校の授業や独学で学び続けているそうです。「日本語を話している時がいちばん幸せ」と、うれしそうに話す姿が印象的でした。
「キリスト教は理性にかなわないので16歳で捨てた」と語り、今回親鸞会館に参詣したことを、「千載一遇のチャンス」と日本語で喜びを表しました。
親鸞聖人の一字一涙のメッセージが、800年後のカナダの若者に届けられたのだと感動せずにおれません。
ご法話の翌日に帰国しましたが、親鸞会館や同朋の里で一緒に『正信偈』の勤行をしたことがご縁となり、「これから毎日6時に起床して、朝夕、勤行をしたい」と熱く語っていました。1年半後には、カナダの大学を休学し、日本の大学を受験すると聞いています。
「夢は世界を駆け巡る」。砂漠でオアシスを探すごとく、親鸞聖人のみ教えを求めている人たちに、伝えていきたいと思います。