まごころの支援に涙、聞法誓う

親鸞会

 東日本の大震災から1カ月、少しずつ生活を取り戻しつつある法友たちから、光に向かってともに励まし、ともに進もうと、誓い新たな手紙が寄せられています。

悲しみ分かち光届ける

宮城県 H.Hさん

 東北の被災者に、物資を届けていただいて、心から感謝せずにおれません。

 停電のため電気を必要とする暖房器具は使えず、多くの方が寒さに苦しみました。大丈夫と信じ切っていた科学文明のもろさを知らされ、愕然とさせられます。

 そんな時、石油ストーブを準備してくださり、皆さん大変喜ばれました。

 また福島県では、原発の影響で物資が届けられず、もうこの土地では生活できないと数名の親鸞学徒の皆さんは他県に移っています。移住できない学徒は物資がない中、耐えておられ、そんな方のもとへ、支援物資の水や食料を届けにいくと、涙を流して喜ばれました。本当にありがとうございました。

 法友と悲しみを分かち、励まし合って、共に光に向かって進ませていただきます。


「行く先は浄土」と声なき声

宮城県 A.Nさん

 いつもはにぎやかな仙台の商店街も、行く先がなく右往左往する人であふれ、殺伐とした空気が漂っています。

 親鸞聖人の教えによって、何としても生き抜いて果たすべき目的を常に教えていただいています。いつどうなるかわからない世界にただ一つ崩れない幸せがあることを、親鸞聖人は教えてくださいました。「おまえの行く先は二千畳であり、弥陀の浄土であるぞ」と、声なき声が聞こえるようでした。

 全国の親鸞学徒の皆さんから物資やガソリンを頂き、うれしくて泣かずにおれません。

 一度は富山での二千畳座談会の参詣をあきらめましたが、法友の励ましと、地震の中、助け合った地域の人が後押ししてくださり、不思議にも二千畳へたどり着くことができました。
何よりも、無上仏のお導きと拝さずにおれません。

 法友に会って泣き、徳水館のお風呂に入って泣き、百味館の食事を頂いて泣き、親鸞会館、二千畳で泣きました。氷点下の極寒をしのいでいる被災地の法友の方々を思うと、涙が止まりませんでした。

  しかし、後生の解決は一人一人のしのぎ、この世のどんな問題も比べものにならない最大事は生死の一大事であると、いつも親鸞聖人の教えを聞かせて頂いています。その生死の一大事の解決のための人生と自覚し、進ませていただくより他にないと思います。

 座談会では、仏法を素直に聞く人は一人もいないと阿弥陀仏が見抜かれ、「必ず救う」と誓われていると教えていただきました。

 平生元気な時に、いかに真剣に聞法するかが肝心。病気になれば苦に責められて聞けず、臨終に慌てふためいても手遅れです。今の救いを忘れて、もっとこうなれば、もっと死に驚き実感が湧けば真剣になれるだろうから、その時まで待とうという心こそ、安逸を貪っている姿であり、前進を妨げている要因と知らされます。火の中かき分け、聴聞の一本道を進ませていただきます。

 

歓喜の日必ず来る!

岩手県 S.Sさん

 大変なご心配をおかけし、多大なご支援を頂きましたこと、深くお礼申し上げます。

 私は幸い小事で済みましたが、今も余震が続き不安な毎日です。いかに鈍い私でも、今回だけは無常を見せつけられ、仏説まことを知らされています。人間は自然の前ではいかに無力なものかと唖然とするばかりです。テレビ座談会で親鸞聖人の教えを高森先生から聞かせていただいて、皆、泣いていました。

 親鸞聖人が飢饉の時、深刻に悩まれ、やはり布教がいちばんの救いになるのだと仰られた御心がよく分かりました。私たちは生き残り、あとわずかな命を、苦しみ悩む方々に、親鸞聖人の教えを伝えていきたいと思います。

 一人の力は弱くても、皆で力を合わせていけば、何とかなると勇気も出てきます。頑張って、苦しんでいる皆さんと、ともに光に向かって進むことができれば、生きていてよかったと思う日が必ず来る。法友の無事を喜び、光に向かって進ませていただきます。

息止まる光景 ただ仏縁念じ

福井県 S.Mさん

 東日本大震災で被災した岩手県のある町へ救援のために赴きました。振り返れば1週間という短い期間でしたが、何カ月も滞在していたように感じます。

 被災地の湾が、道中の高台から目に入ってきた時には、唾をのみ、息が止まるような衝撃を受けました。いろいろな町の震災の様子をテレビや新聞でも見ていましたが、現場の惨状はまるで空爆でも受けたような、この世のさまとは思えないすさまじさでした。

 被災から1週間たっていましたが、辺り一面瓦礫の山。法友の家も、周りの家々も跡形もなくなっていました。大きな家でも塀と玄関、建物の土台を残しただけで、庭石も転がり、あらゆるものが散乱していました。

「まさかここまでは」

 生き延びた法友、近所の人から当時の様子を聞いたところ、津波は大小7回押し寄せ、10メートルは優に超える頑丈な水門のさらに上を、倍近くの高さで襲ってきたと言う人もありました。津波は湾の中央を流れる川を、巨大な柱のような状態でさかのぼり、渦を巻き左右に分かれ、家々を押し潰しました。波に浮いたものは回転して流されていくうちに壊れていったそうです。

 防災林も、1メートル以上あるコンクリートの塀も、電柱や橋の欄干もことごとく、なぎ倒され、折れ曲がり、津波の破壊力の大きさに言葉もありません。

 この湾では明治時代や昭和8年にも大津波があり、当時12歳だったある法友は、低地にあった家がさらわれ、逃げた経験をしていたそうです。その後、震災復興地として、海岸から一段高い現在の場所へ、田畑を整地して皆で引っ越ししたそうです。

 この町には200戸ほどの家があり、百数十戸が流されたと聞きました。亡くなった人も50名以上、不明者も多くあります。

 低地にある小学校や幼稚園の子供に犠牲者はなく、亡くなった人、不明者とも、海岸の近くではなく、一段高い場所の高齢の人が多いということでした。「高い所にいるから、まさかここまでは」という思いや、過去の経験があだになったのではないかと思います。 これまで仏法が伝えられてきたこの土地に、全国の親鸞学徒の支援物資を届け、皆さん、大変喜ばれました。
仏縁を深く念ずるばかりです。

 今日は他人の身、明日はわが身。激しい無常の嵐、大津波は間違いなく私に迫っています。光に向かって進ませていただきたいと思います。

本当の救済、親鸞聖人の教えに生きる

岩手県 A.Mさん

 震災の時、ちょうど岩手県盛岡市にいました。内陸部のため幸いにも津波の難は逃れましたが、わずか数分の間に、周囲の全てが変わってしまいました。今まで一生懸命求めてきたものが、本当に、はかないことを眼前にたたきつけられました。

 世間中、未曽有の大震災に騒然とする中、何とか参詣できた親鸞会館での座談会で、お釈迦様の教えられた生死の一大事とは何かを高森先生から聞かせていただき、「今まで一体何を聞いてきたのか」と深い反省とともに驚きを隠せませんでした。

 同時に、多くの人が生きる意味を見失う中で、本当の人生の目的を教えられた親鸞聖人の教えを知っていただきたいと強く願わずにおれません。

 阪神大震災の時、せっかく助かった命にもかかわらず、人生に絶望し、自ら命を絶つ人も少なくなかったと聞きます。苦しくとも生きねばならぬ理さ由は何か、真正面から答えられた親鸞聖人の教えこそ、暗く沈んだ人々の心の光です。一人一人の心に、真の光を届けたいと思います。

 

あなたが仏教から学べるたった一つのこと

 

一切の滅びる中に 滅びざるまこと

日本人の根底に仏教思想

法楽寄席「布施は尊し」

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