親鸞会ブラジル本部30周年
平成19年6月30日、7月1日の二日間、ブラジル・サンパウロ会館で、親鸞会ブラジル本部結成30周年記念式典が開かれました。
高森光晴布教局長は、6月28日に現地到着後すぐにサンパウロ会館を訪れ、歓迎会に出席、翌日は夜遅くまで式典リハーサルの指導などの、ハードスケジュール。
当日は、オープニングの勇壮な和太鼓で式典が幕を開け、ブラジル布教30年の歴史を描いたビデオが上映された。布教局長の表白文、祝辞(下に掲載)のあと、ブラジル本部を代表し、伊東弘本部長が誓いの言葉を述べた。
講演は「なぜ仏教は聞かなければならないのか」について、2日間くわしく話をされた。
「ゆっくりと丁寧に、日本語の分からない人にも、高森光晴先生の何とか分かってもらいたいの思いが、ひしひしと伝わり、引き込まれました」
と、参詣した40代の男性は語る。
初日の夕方は仏法讃嘆が行われ、遇法の喜びを語り合う。650キロ離れた町から、毎月サンパウロ会館へ参詣する60代の男性、2000畳へ初めて参詣した喜びを語る人など、感極まり、涙を流しての発表が相次いだ。
1000キロ離れたブラジリアから駆けつけたTさんは、
「友人から誘われ、『亡くなった母があんなに喜んで聞いていた親鸞会のお話なら』と思い、半年前、初めてビデオで高森先生のご説法を聴聞しました。素晴らしい!言葉にならないほど感動しました。
聞けば聞くほど、こういう教えを求めていたんだ思い、今日、親鸞学徒にならせていただきました」
と語り、
「首都ブラジリアで支部を発足させたい」
の熱い抱負に、満場大拍手となった。
7月2日、3日には、座談会、交流会で信心の沙汰も活発になされ、来年、親鸞会結成50周年の参詣を決意する人が次々と現れた。
Kさんは
「もっと聞きたい思いいっぱいです。来年といわず、今年の報恩講から家族一緒に聞かせていただきたい」
と語る。
来年は移民100年を迎え、ブラジル国内で様々な行事が催される。だがブラジル学徒は、結成50周年参詣に向け、大きなスタートを切った。
祝辞
布教局長 高森光晴
高森顕徹先生は過去7回、ブラジルご布教に来られ、そのたびに法輪は拡大してきました。
このサンパウロ会館は、ブラジル学徒の心の故郷であり真実の法城です。ここから今やブラジル全土に本当の親鸞聖人のみ教えが伝えられようとしています。
ブラジルも3世4世の時代となり、それに応じてポルトゲスでの布教も本格的になりました。今、聖人のみ教えが各国の言葉に訳され、全世界に弥陀の本願を開顕する、かつてない大事業が成し遂げられようとしています。
ブラジル本部30周年を勝縁とし、親鸞聖人と一味平等の世界に出させていただきましょう。
〝一人居て喜ばは二人と思うべし、二人居て喜ばは三人と思うべし、その一人は親鸞なり〟と、常に励まし寄り添いたもう如来聖人ましますことを忘れず、一層光に向かわれるよう念じております。
発足30周年を迎えて ブラジル本部長 伊東弘
親鸞聖人のお徳により、み教えの種が30年前、このブラジルに植えられました。親鸞会ブラジル布教の始まりです。
当時、日本からの移民者たちは、慣れないブラジルで大変苦労し、年を取り、疲れ切っておりました。
多くが浄土真宗の出身だったために、親鸞会との出会いは幼少のころを思い起こさせ、なつかしく、同時に人生の目的が知らされました。次々とやってくる苦しみの原因と、自分の存在意義を求める心に、ようやく光がさしたのです。
こうして真実の仏法がこの国に浸透し、通訳者も育ち、日系社会の子孫やブラジル人たちにも広まりました。
この30年を振り返ると、如来聖人、高森先生のご恩、そして正しい道を教えて下されるご教導がいかに大切かを知らされます。ブラジル学徒を代表して、高森先生へ限りない感謝を述べたいと思います。また、親鸞聖人の教えを伝えるため、あらゆる壁を乗り越えて来られた講師の方々にも、感謝の思いはやみません。
高森光晴布教局長の講演会に参詣された方々の、喜びの声を紹介します。
<伊東本部長>
この度、親鸞会ブラジル本部30周年記念御法話を勤めて頂き、その上、温かいご教導に厚く御礼申し上げます。
高森光晴布教局長に作って頂きましたビデオは、ブラジル30周年の歩みを写し、参詣者は、感激と涙で見せて頂きました。
本当にありがとうございました。
ブラジルの信火もより一層燃えています。
日本での50周年行事には、多くの法友と、参詣します。どうかよろしくお願い致します。
講演中の高森布教局長
親鸞聖人のお言葉を示し、苦悩の根元を明らかにされる
<Dさん>
この度、8日間のブラジルご滞在、お忙しいご日程、そして、時差のことで、高森光晴布教局長は、大変お疲れのことと思いました。
そのような中、布教局長夫妻と、一緒に過ごさせて頂きましたご縁、本当に嬉しかったです。
ご説法で、私達は必ず裏切られるものを信じながら生きていることと、仏教は本師本仏の阿弥陀仏の本願一つを教えていることを、深く知らされました。
また、親鸞学徒として、和することの大切さ、一人一人が常訓に正しく従わせて頂くように注意する心遣いと、勇気を教えて頂きました。
高森先生が、正本堂を建てられ、さらに、同朋の里や法輪閣のご用意は、私達一人一人の未来永遠の幸福の為であったと知らされました。
この度のご説法や会合は、私一人になさっておられた感じがしました。
鹿と落ち葉のお歌(※)は、私が、又寝ないように精一杯努力する気持ちを目覚めさせてくれました。
これからもっと真剣に仏法を求め、来年は家族一同、50周年記念行事に参加できますよう、又、多くの人をお誘いすることに頑張ります。
※ 「起きて見て また寝る鹿の落ち葉かな」
<Hさん>
この度、ブラジル親鸞会結成30周年の際、布教局長ご夫妻にお越し頂き、本当に嬉しく思いました。
もう私ども2人は、3人の「大人」の母となり、これからは人生の列車が、私の場合、新幹線になりつつ恐ろしい立場です。こんなところにおりながら、まだ無常に驚かないわが身に泣かされます。
こんな中、高森先生に会わせて頂きましたご縁を喜び、急がない心に鞭を打って進ませていただきます。
大変なお疲れと、お忙しい中、婦人会合等、色々と有難うございました。
来年、親鸞会結成50周年大会の際、また、お会いできますよう光に向かって進ませて頂きます。
<Fさん>
30周年の折には、温かいお言葉をかけて下さり、本当に有難うございました。
親鸞会会員にならせて頂き、20年になりますが、こんな広大無辺な教えが仏教に説かれていたなんて、微塵も考えずに親鸞会の会員とさせて頂きました。
頭が悪く、そのくせ理屈っぽい私は、入会後、数年間は、「顕正新聞」などで仏法にであった喜びの声を目にするたびに、その気持ちが理解できずに、早くその身になりたいと焦っていました。
そして失礼ながら、高森顕徹先生が、そんなにすばらしいお方とは、中々理解できずにいました。
それほど、頭の回転の悪い私です。
今は遅ればせながら、親鸞学徒の一員として、遇法の喜びも、善知識への報恩感謝の思いも皆さんについていけるような気がします。
そして、親鸞会会員になり、はじめて、世の中の人が忌み嫌う病気に、この自分がかかってしまったというショックで落ち込んでしまいました。
毎日の食事に気を配り、健康に少々心を砕いてきたつもりでしたが、一体、これから何を食べ、どう生活していけばいいのか、お先真っ暗でした。
周りの人総てが腹立たしくて、聴聞に行く日が近づいてくると、嫌で嫌で仕方がなく、そうかといって、取りやめる理由が浮かばず、いつも重い足を運び、うつつに聴聞をしていました。
そんな時に、高森光晴先生が来て下さったのです。
そうであった、後生の一大事が、この先に待ち構えているのだと、ドキッとしました。
幸い、病気は初期でした。今回の病は、もしかしたら阿弥陀仏の善巧方便ではなかったかと思います。
弛緩した、私の心を正す為に、阿弥陀仏が鉄槌を下して、光に向かう軌道修正をしてくださったものと思っています。