親鸞会結成50年の軌跡
■ 浄土真宗親鸞会結成50周年
親鸞会50年の原点
40周年記念大会(平成10年)の冒頭に高森顕徹先生は、こう言われました。
「親鸞会が結成された目的は、人類の光である親鸞聖人のみ教えを、絶対正確に、最も迅速に、一人でも多くの人に徹底する、これ以外になかったのです。今後も親鸞会が存続する限りこれは変わりません。また、絶対変えてはなりません」
結成50年、大河のような法輪拡大のドラマは、この言葉の忠実な実践以外になかったことを、様々な角度から振り返ってみましょう。
50年前の親鸞会館
親鸞会初の会館(富山県高岡市前田町、24畳)
記念大会
真宗の流れを変えよう
20周年から怒涛の法輪
「3人寄れば会になる」
親鸞会も、最初は3人から始まった。人から人、胸から胸へ、ともされた法の灯は、20年を経て全国に燃え広がる。
20周年記念大会のフィナーレ
昭和53年。高岡市民会館で開かれた結成20周年大会には、全国から親鸞聖人を慕う親鸞会の会員が多数参集。これから始まる阿弥陀仏の偉大なドラマの幕開けだった。
高森顕徹先生は宣言される。
「本当の親鸞会結成は、私は昭和53年12月の今日だと思います。これからの親鸞会の発展は、だれも予測できません。阿弥陀仏のお仕事ですから、私たちに分かるはずはないのです」
講演の中で高森先生は、現在の浄土真宗の誤りを8項目にまとめたピンクのビラ(S号)に触れ、まず最も大切な御本尊を、「親鸞聖人がなされたとおり御名号にすべきである」ことを訴えられた。
※御名号-南無阿弥陀仏のこと
「私の活動はかたつむりのようにのろい。しかし、着実に鬼瓦の頂上まで登ってみせます。我々の活動は微々たるものでも、やがて必ず浄土真宗の流れを変え、全人類の光となりましょう」
「浄土真宗滅亡寸前のこの時に生まれた私たちは、幸せ者です。何百年にもない、何千年にもない時期に生を受けた。そして、この素晴らしい大事業を今やろうとしている。そしてまた、できるのです。阿弥陀如来から釈迦、七高僧、親鸞聖人、蓮如上人方が全力挙げて応援してくださっていますためにできることなんです」
この大会を境に、親鸞会は大きな発展を遂げていく。
昭和58年、岐阜会館に講師学院(顕真院の前身)が開講され、浄土真宗の流れを変えようと、多くの若き親鸞学徒が羽ばたいていった。
同年、25周年大会では、このように述べられた。
死んだ仏教しか知らない大衆は、ジゴクから地獄へのツナわたり。仏教ときくと生活と無関係で難解なものとの先入観しかありません。
誤った常識を打ち破り、生きた仏法を鮮明にすることは,石の壁に説く覚悟がいります。
求める耳がないのですから。
しかし生きた親鸞聖人の仏法を、十方世界に開顕することは、我々親鸞会会員の、絶対やりとげねばならぬ使命です。