(この勉強会は、よくある語句の解説だけの冷たいものではありません。
親鸞聖人の熱い心を伝えるものです。
そのため、誰でも受け止められるわけではないことをあらかじめご了承下さい)
10年たっても死んだ妻のことが
忘れられないんです。
それは、秋のカラオケ大会のことでした。
妻が歌い終わって、席に戻った途端、突然、
「気分が悪い」
と倒れたのです。
意識がなくなって、救急車で運ばれましたが、
4日後に息を引き取りました。
クモ膜下出血でした。
何が起きたのか分からず、ぼう然としている私の目の前で
妻は亡くなったのです。
人間の「いのち」のはかなさ、死を前にした人間の無力さを痛感しました。
あなたは大切な人を失った日
どんな気持ちでしたでしょうか?
通夜の夜、妻の棺の前で、
「きみょうむりょうじゅにょらい…」
『正信偈』を拝読していると、
在りし日の思い出がよみがえってきます。
あなたは大切な人を失った日、どんな気持ちだったでしょうか。
その悲しみは、とても言葉で言い表せません。
楽しい時もありました。
悲しい時もありました。
でも、どんな時もともに苦難を乗り越えてきたのです。
そんなともに過ごした時間を思い起こすたび、涙があふれてきます。
どんなにあの日に戻りたくても、
もう戻ることはできません。
「会うは別れのはじめ」
といわれますが、
今生に家族となって苦労をともにしてきた大切な人と、
二度と会えない身になってしまったのです。
命ある間に、言いたかったこと、してやりたかったことも、
もはやかなわない。
突然、妻が目の前から消えてしまった悲しみに、
遺影を見ては、仏壇の前で泣きました。
しかし、どれだけ泣いても妻は帰ってこない。
今の自分には、供養をしてやることしかできない。
それから、今まであげたことのない親鸞聖人の書かれた『正信偈』を
お仏前であげるようになったのです。
親鸞聖人は、あなたの心にしみ通るような
お優しい気持ちで語りかけてくださいます。
毎日、毎日、『正信偈』をあげているうちに、
だんだんと心が安らぐようになりました。
不思議に思い、
「『正信偈』には一体どんなことが書かれているのだろう」
『正信偈』の意味が無性に知りたいと思うようになったのです。
寺の坊さんに聞いてみても、
「意味が知りたければ、『正信偈』を解説されている本があるから、
それを読んでください」
という返事でした。
その本を読んでみても、難しくてよく分からない。
どうすればよいのか。
探し続けるうち、あっという間に10年ほどが過ぎてしまいました。
その間、いろいろな本を読んだり話を聞きに行きましたが、
『正信偈』の意味は、よく分かりませんでした。
ところがついに、『正信偈』の意味が分かる勉強会に出会ったのです。
あなたはもうご存じでしょうか?
今年の1月、通信教育か何か、自分で学べるものがないかと、
毎日届く新聞を見ていた時、親鸞会のチラシが目に飛び込んで来たのです。
「これだ。もしかしたら『正信偈』の意味が分かるかもしれない」
と勉強会に駆けつけました。
話を聞いて驚きました。
まさしく、知りたかった『正信偈』の意味が
とてもよく分かる勉強会だったからです。
『正信偈』に何が書かれているのか、どうして心が落ち着くのか、
疑問が氷解しました。
親鸞聖人は『正信偈』に
何を書かれたのでしょうか。
一言で言うと、『正信偈』には
「何としてもあなたを助けてやりたい」
という阿弥陀仏の願いが記されていたのです。
仏は、
「すべての人の苦しみは私の苦しみ、
すべての人の幸せが私の幸せ、
何とか苦しみを抜いてやりたい」
と苦しむ人ほど哀れみをかけられるのだそうです。
確かに
人間の親でさえ、子供に対する深い愛情は、
できのよい子より悪い子、
器量のよい娘より悪い娘にかかります。
できのよい子なら、いくらでも自分で生きていけるだろうが、
できの悪い子ほど、
「この子は将来どうして生きていくんだろう」
と心配になるものです。
ましてや大慈悲心の仏さま。
仏の慈悲は苦しむ者にひとえに重し
苦悩の人こそが仏さまのお目当て。
決して、苦しむ者をお見捨てにはならないのです。
今まで意味も分からず『正信偈』を読んでいて、
とても申し訳なく思いました。
それにしてもどうして、親鸞聖人はこんなすごい
「何としてもあなたを助けてやりたい」
という仏さまの願いを知られたのでしょうか。
親鸞聖人ご自身が、世のはかなさと
人間の悲しさに驚かれたのです。
今日世界の光といわれる親鸞聖人もやはり、
世のはかなさと、欲や怒りの煩悩にまみれた人間の姿を見つめられ、
深く苦しまれたのです。
約800年前の平安末期、
藤原家にお生まれになられた親鸞聖人は、
4歳でお父さんを、
8歳でお母さんを亡くされました。
天涯孤独の身になられた親鸞聖人は、
「次に死ぬのは自分の番だ。
死ねばどこへいくのだろう」
真っ暗な心に驚かれ、
「この心、なんとか明るくなりたい」
と9歳で仏門に入られました。
ところが、修行で煩悩をなくし、さとりをえようとなされた親鸞聖人は、
逆に仏教を求めれば求めるほど、
煩悩に汚れた自分の心の姿を知らされたのです。
20年間の血のにじむご修行の末、
抑えようとすればするほど吹き上がる煩悩に、
「自分のような者は、修行によって
煩悩をなくす教えでは助からない」
と絶望されました。
泣く泣く山を下りられた聖人は、
法然上人に巡り会われ、
真実の仏教である阿弥陀仏の本当の願いを
聞かれるようになったのです。
そして最後、ありのままの姿がすべて照らし抜かれた時、
「どんな極悪人でも、我を信じよ、必ず平生に救い切る」
という仏の願いに救い摂られたのです。
親鸞聖人29歳の春のことでした。
「自分ほど悪い者はない、極悪最下の親鸞であった。」
と知らされた親鸞聖人は、それから一生涯、
「この最低の親鸞さえ救い摂られたのだから
この世で救われない人がありましょうか。
あなたも早く、仏の願いを聞いてください」
と、すべての人が煩悩あるがままで救われる真実の仏教を
私たちのために伝え続けてくだされたのです。
親鸞聖人が説き明かされた
すべての人の「真の生きる道」
このように親鸞聖人は、私たちに寄り添って、
どんな人も救われる、真実の仏教を明らかにしてくだされたのです。
山で修行をする仏教は、人を選びます。
経典を学ぶ知恵のない者、
修行に耐える精神力のない者は求められません。
欲や怒りのおさまらぬ者は、救われないということです。
しかし私たちの浄土真宗は違います。
欲のやまぬ者も来い、怒りの起こる者も来い。
愚かな人も、賢い人も、男も女も、全く差別がありません。
善人も悪人も、みな平等に救われるのです。
それは、阿弥陀仏が、
「すべての人を煩悩あるがままで救う」
というお約束をなされているからです。
それは、貴族から武士の世の中へと急激に移り変わる
今と同じ激動の時代。
親鸞聖人は、貴族のお生まれでありながら、
貴族や一部の者に独占されていた仏の救いを、
はじめて万人の手の届くところに開いてくださいました。
欲や怒りの煩悩を、減らしも無くしもしないままで体験できる
すべての人の「真の生きる道」を開かれたのです。
そんな親鸞聖人の他力至極の信心が
詩情となってほとばしり出たのが『正信偈』です
その親鸞聖人90年の教えが凝縮した『正信偈』は、
親鸞聖人が一字書かれては一粒の涙を流され、一字一涙の思いで、
「必ずあなたを助けてみせる」
という仏さまの願いを伝えてくだされたものだったのです。
しかも、私たちが誰でも口ずさめるように、
歌の形であらわしてくださいました。
そして今日、多くの人々が、
『正信偈』を、朝晩、拝読しているのです。
『正信偈』の意味であればこのサイトでも分かります。
→正信偈の分かりやす い解説
あなたも勉強会で分かりやすく聞くことができるのです。
勉強会には、以前、アメリカの浄土真宗の権威、ロジャース教授も来られたそうです。 その『正信偈』に歌われた阿弥陀仏の広大な願いを、
あなたも勉強会で分かりやすく聞くことができるのです。
勉強会には、以前、アメリカの浄土真宗の権威、ロジャース教授も来られたそうです。
アメリカの権威も感動の純粋さ

ロジャース教授は、浄土真宗中興の祖、蓮如上人を20年以上も研究し、蓮如上人の代表作の『御文章』を全訳しています。
(写真はロジャース教授ご夫妻)
約500年前、本堂が30畳の、廃れ切った本願寺を引き継がれた蓮如上人は、御文章をはじめとする、教えを伝えるうえでの様々な革新によって、一代で浄土真宗を再興され、 今日、日本最大の宗派(二千万門徒、二万カ寺)といわれる浄土真宗の基礎を築かれました。
その蓮如上人研究の第一人者、ロジャース教授は、蓮如上人に関する論文執筆中、日本を訪れた際に親鸞会の勉強会に参加され、このように語っています。
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親鸞会は蓮如上人の遺産 大変分かり易いです。 |
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蓮如上人の『御文章』を全訳した蓮如上人研究の第一人者が、
「蓮如上人の遺産」と評したのは、
実際に勉強会に参加し、学者としてのまなざしで、
親鸞会の本質を見抜いたからかもしれません。
知識人ほど高く評価する
ほとんど知られていないたった一つの理由
このような、知識人さえも高く評価する、勉強会の特徴は一体何なのでしょうか。
何回か勉強会に参加しているうちに特に印象に残ったのは
親鸞聖人のお言葉の意味を説明されることです。
別に何か特別なことではありません。
ただひたすら、親鸞聖人のお言葉を示して、
その意味をできるだけ分かりやすく、解説しているだけなのです。
むしろそれによって、伝統的な親鸞聖人の教えを、
純粋に、誰でも分かりやすく学ぶことができるのかもしれません。
私がはじめて行った勉強会の講師は30歳前後で、
私の子供より若いくらいだったのですが、
『正信偈』の意味を全部分かっているようで、
仏教の基礎から『正信偈』の深い内容を丁寧に解説してくれました。
例えばこのような内容です。
- 90歳以上の方もよく分かると喜ばれる『正信偈』の冒頭「帰命無量寿如来」の解説。そこにこ込められた美しい感激に満ちた親鸞聖人の告白。(もちろん、高校生の子供さんでも分かる分かりやすさです)
- 「親鸞が救われたのは、全く仏のお力であった、このご苦労があったなればこそ、親鸞は救われたのだ」と親鸞聖人が感謝された仏さまのご苦労とは?
- 十二のお徳のある仏さまなればこそ、極悪最下の親鸞が救われることができのだ、と親鸞聖人がたたえられた十二光・十二とおりの仏のお力とは?(しかもすべての人は、あまねく十二の光の中に生きていると『正信偈』に説かれ、あなたも救われようとしているのです)
- 大変難しい5つの戒律を守らなければ生まれることのできない人間に生まれさせ、苦しみ悩みから救われる仏教を聞くチャンスを与えてくだされる仏の光明の1つ「光炎王光」の働きとは?
- どうしたら、仏の「清浄光」によって欲の心を照らし、汚い心を汚いと知らせ、清め、喜びに変えていただけるのか。
- 七千余巻といわれるたくさんのお経を説かれたお釈迦さまが、一生涯教えられた、たった一つのこととは?(「如来、世に興出したもうゆえんは……」お釈迦さまは、これ以外教えられていないと親鸞聖人は『正信偈』の中に断言されています)
- 「亡き父母の追善供養に、一返の念仏も、一巻のお経も読んだことがないのだよ」と言われる親鸞聖人(三代目の覚如上人は「葬喪を一大事とすべきにあらず。もっとも停止すべし」とまで言われています。)の浄土真宗の葬儀の本当の意味とは?
- どうすれば「煩悩を断ぜずして涅槃を得」という、煩悩あるがままで、一切がさわりとならない無碍の一道へ出られるのか。
- 才能の有無、健常者・障害者、人種や職業、貧富の違いなどとは関係なくすべての人が同じよろこびの世界に共生できるのだよと親鸞聖人がおっしゃった『正信偈』のお言葉とは?
- あなたの本懐成就のポイントを巧みな例えで説かれている「たとえば、日光の雲霧に覆わるれども……」とは?
- 欲や怒りの煩悩を、減らしも無くしもしないままで体験できる、驚くべき幸福の存在をずばり打ち出された「雲霧の下、明らかにして闇なし」とは?
- 仏の願いによって、一念で5つの迷いの世界と縁切りで、二度と迷わなくなると説かれた「すなわち横に五悪趣を超截す」の真実。
- どうすれば、どんな人でも差別なく、すべての仏から「仏教の大学者だ、最も優れた人だ、大好きな人だ、上の上の人だ、親友だ、めったに咲かない白蓮華のような人だ」と褒められるのか。 (「この人を分陀利華と名く」)
- 親鸞聖人が世の中に難しいことはいろいろあるけれど、「難の中の難、これに過ぎたるはなし」これ以上難しいことはない、とおっしゃっているのはどんなことなのか。(そこを突破したところに、素晴らしい世界が広がっているのです)
- 「これらの方々が仏の願いを正しく伝えてくだされたなればこそ、親鸞はこの身に救われることができたのだ」と聖人が喜ばれた、仏の願いは「機に応ずる」とはどんなことか。(「如来の本誓、機に応ずることを明かす」)
- 仏の願いを正しく伝えられたインド・中国・日本の七人の高僧の筆頭に挙げられ、親鸞聖人がその功績をたたえられた、龍樹菩薩とはどんな方だったのか。(龍樹大士世に出でて」)
- 「龍樹菩薩はすごい方だ、こんなことは龍樹菩薩でなければできない、龍樹菩薩がこのように明らかにしてくだされたなればこそ親鸞は救われることができたのだ」と親鸞聖人が喜びいっぱい書かれた龍樹菩薩が明らかにされたこととは?
- 「自然に即の時、必定に入る」と、龍樹菩薩が仏のお力によって、即の時、絶対の幸福に救われると教えられた「即の時」とはいつのことなのか。
- 浄土真宗の念仏はお礼の念仏であり、しかも自分の力で称えるのではなく、阿弥陀仏のお力によって称えさせられるものであることを、親鸞聖人がおっしゃった「ただ能く常に如来の号を称じて」の中の1字とは?
- 「天親菩薩がおられたなればこそ、親鸞は今、救われることができた、天親菩薩のご恩を忘れることができないのだ、あなたにも、天親菩薩の教えを聞いてもらいたい」と喜ばれた天親菩薩の教えとは?
- 親鸞聖人が「鸞」の一字をもらわれ、本当の先生だと言われたほど、深いお気持ちがあった曇鸞大師とはどんなお方であったのか。(「本師曇鸞は梁の天子…」)
- 曇鸞大師はこんなことを明らかにしてくだされた、と親鸞聖人が手をたたいて喜ばれた、念仏称えても救われませんよ、「正定の因はただ信心」ですよ、とは?
- この世で仏の願いに救われた人は、必ず死ぬと同時に限りない光輝く世界にゆけると曇鸞大師がおっしゃった、「必ず無量光明土へ至れば」とは。
- 「諸有の衆生、皆普く化す」に説かれる、いまだ迷いの世界で苦しんでいるすべての人が、あなたも含めて一人残らず救われるまで、済度せずにおれないのだ(したらいいとか悪いとか、理屈じゃないんだ、救わずにおれないのだ)ということ。
- 苦しみ一杯が幸せ一杯となる、すごい確信に満ちている「生死すなわち涅槃なりと証知せしむ」と言われた意味とは?
- どんな仏教も、方法が違うだけで、結局同じさとりが開けると思っていませんか?道綽禅師が「聖道の証し難きことを決し」て、助からないから捨てよと言われた仏教とは?
- その逆に、「唯、浄土の通入すべきことを明かす」と道綽禅師の明かされた、本当に救われる、ただ一つの仏教とは?
- 日常生活においては、善を励まねば善い結果がこないのは当然ですが、「我々のやる善では助からない」(万善の自力、勤修を貶し)と言われているのは何についてなのか。
- 念仏さえ称えたら助かるように誤解した人が、その根拠に使い、非常に問題になった「円満の徳号、専称を勧む」の本当の意味とは?
- 真実の仏教は、いつの時代になっても、これから何千年、何万年、何億年たっても(像・末・法滅)始終変わらず、一切の人々を救う(同じく悲引したもう)と説かれる、時代を超え、差別を超えた真実とは?
- 一生悪を造り通しの私たちが、魂の歴史上、遠い過去から、未来永遠にわたって一度しかない、過去にも未来にも二度と無いこととは?「いのち」の本質に触れる(一生悪を造れども弘誓に値いぬれば)
- 何千何万の僧侶があっても、善導大師しか明らかにできなかった「仏の正しいこころ」とは?(『正信偈』にひときわ大きな声で、親鸞聖人がその偉大さをたたえておられる「善導ひとり仏の正意に明らかにして」)
- 仏とも法とも知らなかった私たちが、無常と罪悪に驚き、仏法を真剣に聞かずにおれなくなるよう、心を調えてくだされる仏さまのお働きとは?(定散と逆悪とを矜哀して)
- 盆の上の卵のようにコロコロ変わる心を持った私たちが、どうすれば、どんな非難攻撃を受けても変わらない、鮮明不動の金剛心になれるのか(行者正しく金剛心を受け)
- 地球上で初めて仏の願いに救われたイダイケ夫人にまつわる仏教史上最大の悲劇をハッピーエンドに転回されたお釈迦さまの妙手とは?(韋提と等しく三忍をうる)
- 約1000年前、『往生要集』を書かれた源信僧都が「これ以外、この源信が救われる道はなかった」と明らかにされた、「ひとえに安養に帰して」とは?
- 「源信は極重の悪人であるから、ただ仏を称ずるほかない」この一言に秘められた源信僧都76年間の教えのすべてとは?(もちろん、ただ念仏称えていれば助かるという意味ではありません)
- 善人後回し、悪人こそが救われる浄土真宗の本当の救いとは?(もちろん悪を勧められているわけではないのです)
- 他力とは、如来の救済の力ですが、自力の信心と他力の信心の「浅さ」と「深さ」の違いを水際立てて教えられ、他力の信心を獲るところまで進みなさいよと教えられた他力真実の信心とは?(「専雑の執心、浅深を判じ」)
- 悲しみも喜びも、不安も安心も、災難も幸福も、すべてが「いのち」一杯生き遂げる、純全な輝きに転じ変わってしまう煩悩即菩提とは?
- 親鸞聖人の直接の先生であり、当時、日本中に真実の仏教をひろめられた法然上人が、主著『選択本願念仏集』に教えられた最も大事な教えとは?
- 「生死輪転の家に還来することは……」に「すべての人が苦しみ悩み続けているのは、苦しみの原因を間違っているからだ。苦悩の根元はこれ一つなんだぞ」と解き明かされたたった一つの苦悩の根元とは?
- 「速やかに寂静無為の楽(極楽浄土)に入ることは……」に法然上人が「誰でも彼でも死んだら極楽へ往けるのではありませんよ、必ず浄土へ往ける大満足の身になるには必ずいるものがあるのですよ」と教えられたただ一つの「いるもの」とは?(なんと念仏を称えることではありません)
- 『正信偈』が終わる直前「インド・中国・日本の高僧方が、仏の願いを正しく伝えて下された目的は善人様のためではなかったのだ、数限りもない悪に染まった人々を救うためであったのだ、そして、その親玉は親鸞であった…」(無辺の極濁悪を拯済したもう)とおっしゃった聖人の願いは何か。
- 『正信偈』の最後に記された「道俗・時衆、共に同心に……」「僧侶も在家の人も、すべての人が、仏の願いに救われた、親鸞と同じ心になってもらいたい。その為には、これまで『正信偈』に説いてきた七高僧の教えを聞いて、あなたも早く救われてもらいたい」という親鸞聖人が『正信偈』を書かれたお気持ちは?
一回の勉強会では、『正信偈』の一行や、場合によっては一文字についての詳しい解説ですが、若い講師がこんなことを話してくれるので、もっと経験のある講師なら、一体どうなってしまうのかと、とにかく驚きました。
あっという間に1時間半の勉強会が終わり、講師に質問すると、優しく分かりやすく教えてくれて、とてもよく分かりました。
ほかにも、勉強会には初めての方や最近来られるようになった方がたくさんおられ、今まで知りたかった『正信偈』の本当の意味を初めて知った、衝撃と感動を私に語ってくれました。一部を紹介します。
知りたかった『正信偈』の意味が
初めて分かった感動の声
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こんなに分かりやすく解説してもらえるとは 「昔から、なぜか親鸞聖人に心引かれておりました」 |
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嬉しくて泣けて泣けて仕方が ありません 嬉しくて泣けて泣けて仕方がありませんでした。聞けば聞くほど深い内容にひきこまれ、だんだんと親鸞聖人の教えが伝わってきたようで嬉しく思います。 |
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素人にも分かりやすい親切な解説に感謝 大変勉強になります。1日のスタートとして勤行を欠かさず続けておりますが、最初は意味も分からず、ただ読み上げるばかりでした。最近は教えをかみしめながら楽しく勤行できるようになりました。専門書では仏教用語が多く、理解するのになかなか難しい面もありますが、素人にも分かりやすい親切な解説に感謝しております。朝夕の日課として勤行を続けながら、さらに聖人の「こころ」を読むことに努め、家族や法友にも広めて、ともに喜びを分かち合いたいと思います。 |
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探し求めていたものがやっと見つかった 年齢とともに、仏事に参列することが多くなってきました。『正信偈』の意味も分からず皆さんと口ずさんでおり、「帰命無量寿如来 南無不可思議光」って何だ?と思ったことがきっかけでした。いつも頭の中に「何を調べたら分かるのだろうか」と思っていたところ、昨年11月、この講座を知りました。平日の午後の部に行き、お話を聞いていて、「ああ、私の求めていたものだ」と、心に深く入り込みました。「私の探し求めていたものがやっと見つかった」と、心が安らぐのを感じ、今日に至っております。 |
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うれしい、勉強会が楽しみです。 ここ2年間、役員の大役を引き受けました。でも、『正信偈』のおつとめをしても、意味がほとんど分からないままでした。そんな折、勉強会に参加して、本当に勉強になっています。うれしくて、勉強会が楽しみです。 |
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一歩前進したような気が 今日、『正信偈』の言葉に、意味があることを初めて知りました。 |
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時々見ては大変感動して喜んでいます。 『正信偈』を半紙に清書し、朝や夕方に拝読させていただいていますが、別にもう一つ清書したものに、勉強会で教えていただいた『正信偈』の意味を、行間に朱書し、時々見ては大変感動して喜んでいます。 |
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勤行で、心が安らぐようになりました。 『正信偈』の意味が分かりやすく、毎月勉強会の日が来るのを待っております。このごろは、毎日の『正信偈』の勤行でも、心が安らぐようになりました。ありがとうございます。 |
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学ぶにつれて深さに圧倒されています。 勉強会では『正信偈』について、詳説してくださいました。朝夕の読誦聖典と教えられているだけに、深い意味のある偈であることは感じていましたが、学ぶにつれて圧倒されています。 |
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こんな集まりがあるなんて 半信半疑ながらも、市内の会場に自転車で
向かいました。
そこで、幼いころから親しんでいた『正信偈』の意味をお聞きし、
阿弥陀仏は、この世で助けると誓われていることを、始めて知った
のです。 |
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『正信偈』に説かれているとは 新興宗教を30年以上続けましたが、何のために生まれてきたのか、 死ねばどうなるのかという、私がいちばん知りたいことは聞けなかったんです。 それが、幼いころ親しんでいた『正信偈』に説かれているとは 思いもよりませんでした。 |
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願ってきたことが、やっとかなって感無量 「『正信偈』の意味が知りたい。」 |
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30年間求め続けた本当の教えに今、遇うことができました。 「親鸞は今救われた!」と『正信偈(しょうしんげ)』冒頭に叫ばれていることを知った時は、魂がバリバリバリと音を立てて崩れ落ちるようなショックで、その場から立ち上がることができませんでした。
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身の毛が立つ感動 私は、仏法熱心な安芸門徒の家庭で生まれ育ちました。3歳ごろから 母と『正信偈』に親しみ、文字は読めなくても音で覚えていました。 祖父からはいつも、「仏法を聞くのに、足を投げ出したり、 居眠りしたら大変なことよ」と言われておりました。 そのうち、自ら寺に足を運ぶようになり、60代までつづけましたが、 何十年と聞いても何かが物足りない、と感じるようになったのです。 親鸞会で『正信偈』の一字一句を開いて教えてくださり、 こんな深い意味があったのかと、頭をカーンカーンと叩かれ、 身の毛が立つような感動でした。 |
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『正信偈』に説かれる仏の願いは、とても私たち凡夫(人間)の想像の及ぶものではありません。
普通はとても受け止めきれないと思いますが、それでも
深く受けとめれば受け止めるほど、感動も大きいのでしょう。
私が一番感動したのは、
阿弥陀仏の願いは助ける仏さまの方から、
「どうかあなたを助けさせてください」
とのお慈悲だということです。
「造悪の心がやまないと言えば、やまない心と知っているから任せてくれ」
「真剣に聞けぬと言えば、真剣に聞かぬ心と分かっているから助かってくれ」
「信じられぬと言えば、信じられぬ心も承知しているから任せておくれ」
親鸞聖人は
「こんな底なしの弥陀の大慈悲あったなればこそ、
全人類たとえ70億あっても最低の親鸞が救われたのだ」
と喜ばれ、
「この広大な仏恩に、何としても報いずにおれない。
何とかあなたに伝えられないものか」
と一字一涙の思いでつづられたのが『正信偈』なのです。
その『正信偈』に込められた親鸞聖人の熱い思いを、
ぜひあなたも受け止めてください。
全国どこでも、あなたの町で学べます

親鸞会では、北は北海道から南は沖縄まで、
全国の生涯学習センターや、市民会館、公民館などで、
『正信偈』の勉強会が開かれています。
あなたの町でも、きっと何年も前から、生涯学習センターや市民会館、公民館などで、『正信偈』の勉強会が開かれてあなたの参加を待っていると思います。
(参加無料)
勉強会に参加をご希望の方は、詳しい場所と時間を教えてもらえますので、
今すぐ以下のフォームからお申し込みください。
(ホームページ上に掲載されていない日程などもあります)
(改めて各地の担当者からご連絡いたします。)
電話 0120-919-765(無料)
受付時間 午前9時~午後5時(土・日・祝日も受け付けております)

浄土真宗 親鸞会
〒939-0395 富山県射水市上野1191
TEL 0766-56-0150 FAX 0766-56-0151
(9時~17時 親鸞会館受付)
E-mail:info@shinrankai.or.jp
追伸
今なら勉強会が終わって家に帰ってからも『正信偈』を学べるように、事前に希望すると、『正信偈』のわかる仏教の小冊子を会場でとりおきしてもらえます。
あなたも上のフォームの「ご質問など」に「仏教の小冊子希望」と書き添えて、今すぐお申し込みください。
追伸2
最後に
あなたはなぜ、ここまで読まれ、勉強会参加を検討されるに至ったのでしょうか。
『正信偈』の本や講座は、探せば他にいくらでもあると思います。
大抵は、これほど親鸞聖人が涙の中に『正信偈』をあらわされたお気持ちを
伝えていなかったり、難しすぎたり、さらには正しくないものもあるのですが、
中にはごくまれに、いいものもあるかもしれません。
一方、ここまで読まれたならお気づきかもしれませんが、この勉強会は、まだ参加される前から、そもそもこのページの案内だけで、世の中のほとんどの本や講座を超えていたのではないでしょうか。
ですが、どちらがいいか判断するのは、もちろん私ではありません。
あなたです。
特にあなたが『正信偈』の意味を知りたい方ならなおさら、
このページの『正信偈』の解説を繰り返し熟読していただき、
勉強会にもぜひ一度参加してみてください。
持ち物は、特にありません。
筆記用具くらいはあればいいかもしれません。
実際に勉強会に触れると、
この案内に書いた文章ではとても伝え切れない
『正信偈』に込められた微妙な心も伝わると思います。
楽しみにしていてください。