寝ていて転んだためしなし 裸で物を落とした者もなし
歩いたことのない人に転んだということはない。
なにも持たぬ者が物を落としたという話も聞かれない。
朝晩、拝読する『聖人一流章』には「もろもろの雑行をなげすてて」とあるが、浄土真宗の人達は雑行がなにやら全く知らない。
だからいくら蓮如上人に「雑行をなげすてて」と教えられても馬耳東風、流転を続ける。
後生を案じ往生の間に合うと励む(自力)諸善を雑行というのだが、どだい後生が問題になっていないのだから、雑行が問題になるはずもない。
信仰がそこまで進んでいないのだ。
なぜ真宗の人達は後生が問題にならず諸善に向かわぬのか。
三世因果の道理が教えられていないから、それは至極当然だろう。
先ず、釈尊が因果の道理を説かれ、廃悪修善を徹底されたのはそのためだ。しかもそれは釈迦の勝手な判断でなく、本師・弥陀が誓われた救済の要門だからである。
親鸞聖人はそれを、善ができると自惚れている心(自力)を粉砕し、雑行をすてさすための阿弥陀仏の十九願であると教えられているのである。