両極端にゆれる自力の信心
真宗史からの教訓 三業惑乱に学ぶ
自力の信心は、時計の振り子のごとく、「十劫安心」と「三業安心」の間を揺れ動く。真ん中にピタッと止まることはない。
「十劫安心」を叩けば「三業安心」に傾き、「三業安心」を破れば「十劫安心」になる。
これが自力の本質なのである。
三業惑乱の首謀者が、本願寺学者の最高権威であったことを鑑みれば、五十年や百年の学問知識ではどうにもならない根深いものが、問題の奥底に潜んでいることが知られよう。
「三業惑乱」とその後の浄土真宗の趨勢を述べ、親鸞学徒の使命を確認したい。
本願寺転覆の発端
江戸時代末期、全国に、「十劫安心」が蔓延っていた。
十劫安心とは、「十劫の昔に、我々はすでに助かってしまっている」という異安心である。
「だから、今さら求めることも、聞き歩くことも要らぬ」
「弥陀の救いはいつとはなし」
「この世で助かったということなどはない」
というのが特徴であり、これが親鸞聖人の教えに反する邪義であることは、明らかである。
この「十劫安心」を正すべく、六代目能化(教義上の最高責任者)の功存は、「信心獲得せねば後生は一大事」「弥陀をたのまねば絶対に助からぬ」と力説した。
ところが、「信心獲得」を強調した反動で表れたのが、「三業安心」である。
「三業安心」とは、「身口意の三業で、阿弥陀仏にお願いせねば助からぬ」「三業がこうなったのが獲信だ」と主張する信仰をいう。
この邪義を、功存の後を継いだ七代目能化・智洞が、公然と唱えたのである。
「十劫安心」から、今度は信仰の振り子が「三業安心」へと大きく傾いたのだ。
智洞の邪説をきっかけに、真宗の道俗がこぞって「私はこのように弥陀にお願いした」「お前はどのように弥陀をたのんだか」と三業を詮索するようになり、各地が騒然となっていった。
かくて、本願寺を揺るがす信仰の大争乱へと発展していったのである。
「三業安心」の特徴は、以下の通りである。
三業安心の特徴と誤り
○信心獲得を強調する。
勿論これは、間違いではない。親鸞聖人の教えは「唯信独達の法門」、蓮如上人も「聖人一流の御勧化の趣は信心をもって本とせられ候」「あわれあわれ存命の中にみなみな信心決定あれかし」と仰せのとおり、「信心」の強調のし過ぎはない。
だが、「信心獲得」を強く勧めると、「では、どうすれば獲信できるのか」という焦りから、いろいろのことが問題になり詮索されるようになってくる。
○いつ獲信したか。
「私は何年何月何日のいつ頃に獲信した」と、獲信の年月日時を問題にするようになった。
○どこで獲信したか。
「畑の真ん中で」「風呂場で獲信した」などと、場所の詮索が始まる。
○どの知識の下で獲信したか。
「あの知識の下で」
○どのようにして獲信したか。
「こうだった」「ああだった」と、自慢げに具体的な体験談を語るようになる。
このような体験を語ることを、「機相で信心を語る」という。「機相」とは「人間の三業」のことであり、三業は一人一人異なる。
「いつ」「どこで」「どの知識の下で」「どのようにして」などは、各人各様のものである。
親鸞聖人・覚如上人・蓮如上人方は、どこにも記されていないことである。
「信相でのみ語られている」。「信相で語る」とは、「万人の普遍的な表現」をいう。
「万人共通のことのみを語られている」ということである。
いつの時代でも変わらぬ普遍的な説き方で、信前・信後を明らかに教えられている。これが浄土真宗の教えであり、信心である。
では、なぜ親鸞聖人、覚如上人、蓮如上人方は、「機相(三業)」で信心を語られなかったのだろうか。
弥陀から賜る絶対他力の信心は、「いつ」「どこで」「どのように」など各人各様の「機相(三業)」で語れるものではないからである。
「機相で語る」のは、その程度の信仰ということである。
「三業安心」が、親鸞聖人と異なる「異安心」であることは明白であろう。
大動乱の結末その後
蔓延する「三業安心」の誤りを正そうと、各地から実力ある真宗学者が立ち上がった。
やがて智洞は首謀者として弾劾され八丈島へ遠島になったが、刑の執行前に獄中で病死した。
落着するまで十年余、幕府の介入、裁判、獄死、処刑等血なまぐさい事件がつづき、最後は本願寺が信仰面でひっくり返ったのである。
爾来、本願寺では、肝要の「たのむ一念」を毛嫌いし、「信心獲得」を一切説かなくなった。
三業惑乱の反動であり、「十劫安心」に逆戻り、以後、明治・大正・昭和と衰退の一途をたどっているのが浄土真宗の現状である。
かかる真宗の危機に立ち上がったのが浄土真宗親鸞会であり、平生業成の親鸞聖人の教えを開顕し続けてきたのが、本会五十年の歴史であった。
平成の親鸞学徒の置かれた重大な立場と使命を、改めてかみしめずにおれない。
歴史は繰り返す 真宗の現状
ふりかえって、この大惑乱を見るに、信心獲得せよと強調すればするほど、「では、どうすれば」と焦る心につけこんで、「こうすれば助かる」「ああすれば助かる」と三業で獲信を語ろうとする輩がはびこる。
智洞のように身口意の三業で阿弥陀仏に「後生助けてください」と依頼する人工信心や、座談などで感情の興奮で慟哭念仏したのを獲信した証拠と認定する信心や、ちょっと感激して大喜びする者を獲信の証しとする安売り信心が、大ばやりする。
そんな自力の信心を、人工信心の連中が取りまいて、目出度い、目出度いと持ち上げる。
本人もその気になって、「われこそ信心を獲たり」と得意になり、「お前ら、そんなに聞いていてもまだ獲信できぬのか」と他を見下す。
「オレはああだった」「こうだった」の自慢話に花が咲き、「あの人は獲信している」「この人はまだ獲信していない」と、他人の信・不信を語りだすのである。
善知識方のどこにもおっしゃっていられないことを、己の分際も弁えず誇らしげに言ってのける。
親鸞会が「十劫安心」を徹底して破り続けてきた結果、ようやく真宗界も「信心獲得」の大切さを言い始めるようになったが、歴史は繰り返す。
今度は「三業安心」が様々な形を変えて潜行伝播することを、熟知しなければならない。