磯長の夢告と弥陀の本願 (1/4)
「如来大悲の恩徳は
身を粉にしても報ずべし
師主知識の恩徳も
骨を砕きても謝すべし」
(恩徳讃)
“阿弥陀如来の洪恩は、身を粉にしても足りない。弥陀の大悲を伝えてくだされた善知識(仏教の先生)の大恩も、骨を砕いても済まない”
親鸞聖人90年のご一生は、この恩徳讃で貫かれている。波乱万丈の生きざまの全ては、「身を粉に、骨砕きても、弥陀と師教の大恩に、いかに報ぜん」という純粋な御心から生まれたものであったのである。
仏教では、どれほど恩を知り、恩を感じ、恩に報いようとしているかで、人間を評価する。恩知らずは、人として最も恥ずべきことであり、畜生にも劣ると教えられている。
親鸞聖人が、今日「世界の光」と多くの称賛を浴びているのは、阿弥陀如来の広大無辺な恩徳と、師主知識のご恩、どうお返ししたらいいのかと、聖人ほど激しく報恩に燃えられた方はなかったからであろう。
では、阿弥陀如来からお受けした、命懸けても返し切れない厚恩とは何か。
親鸞聖人の出発点
それを知るには、親鸞聖人のご一生を知らなければならない。
親鸞聖人は、今から840年前に京都でお生まれになった。4歳でお父様、8歳でお母様を亡くされ、次は自分の番だと無常に驚かれ、9歳にして比叡山・天台宗の僧侶となられた。出家の時に詠まれたと言われるのが次の歌である。
「明日ありと思う心の仇桜 夜半に嵐の吹かぬものかは」
今を盛りと咲く花も、一陣の嵐で散ってしまう。人の命は花よりも、はかなきものである。
「明日がある」と皆思っているが、その心は、明日になれば、また「明日がある」と思う心である。どこまでいっても「明日がある」と思っているのだから、「永遠に死なない」と思っている心に他ならない。
それが正しければ、この世に死ぬ人はいないはずだが、現実にはバタバタと死んでいく。すべての人は、とんでもない深い迷信を持っているのだ。
だから「明日ありと思う心」を聖人は、「仇桜」と言われているのである。