【マンガ】聞く・語る・伝える
親鸞聖人が教えられた「なぜ生きる」についてマンガで分かりやすく学ぶことができます。
高校に通うユイに、仏法を聞いてみたいと話しかけてきたミカ。早速、2人は迷海の勉強会に足を運んだが……
ユイに誘われ、初めて仏教の勉強会に参加したミカは、親鸞聖人が説かれる人生の目的に強い関心を示した。そんなミカにユイは……
難度海を渡す大船に乗れば無碍の一道に出ると聞き、「障りがない(無碍)」とはどんなことか、信心の沙汰が始まった。
「三毒の煩悩はしばしば起これども、真実の信心は彼にもさえられず」といわれているお言葉はどんな意味なのか?因果の道理を理解することとどんな関係があるのか?
苦しい人生、なぜ生きるのか。朝の来ない夜はない、春の来ない冬はない、と言われても、夜明けとは?花咲く春とは?それはいつ来るのか?「なぜ生きる」の答えを見つけることが人間の本分である。
知っていたほうがいいことはたくさんある。しかし、私たちの人生で最も知らねばならないことは何か?それを教えられたのがお釈迦様の毒矢の例えである。
人生には様々な苦しみ、悩みがある。人は、なぜ苦しむのか?苦しみはどこから来るのか?仏教は、すべての人の苦しみの根本原因をハッキリと教えている。
苦しみ悩みの人生の海を明るく楽しく渡す大船あり。人生の目的を明示された親鸞聖人とは、どんなお方であったのか?あなたはご存知ですか?
地獄は本当にあるのか、疑問に思う人も多いでしょう。地獄とは苦しみの世界であり、そんな苦しい結果を受けねばならない原因があるのだよ、と仏教で教えられています。
火の車 造る大工はなけれども 己が造りて 己が乗りゆく」という歌があります。自分の造った悪業が自分の苦しみの世界を生み出すということです。
【マンガ解説】『雑行・雑修・自力の心』
御文章に何度も書かれてある「雑行を捨てよ」の正しい理解とは?誤解されている“雑行”の正しい意味を学びます。
「雑行・雑修・自力の心をふり捨てよ」と言われる意味をマンガでわかりやすく解説します。その②では、“雑修”の正しい意味を学びます。
「雑行・雑修を捨てよ」とは、「自力の心」を捨てよ、ということです。善を捨てよ、お勤めをするな、ということではありません。では、“自力の心”とは何か?問題の核心に迫りたいと思います。
御文章に幾度も書かれてある「雑行・雑修・自力の心」の“自力の心”とは何か?“自力の心”が、どうして廃るのか、解説します。シリーズ最終話です。
ほんまでっか?
「往生」の言葉の意味を「困った」とか「弱った」という意味で使われる誤用が目立ちます。「往生」は仏教の言葉。本来の意味をなにわの夫婦のやりとりから学びましょう。
「袖触れ合うも多生の縁」と言われます。「多生の縁」とはどんなことなのでしょうか。なにわの夫婦のやりとりから学びましょう。
旦那という言葉は、もともと仏教から出た言葉です。どんな由来があるのでしょうか。なにわの夫婦のやりとりから学びましょう。
人間は煩悩の塊である、と仏教では教えられる。煩悩とは、私たちを煩わせ、悩ませ、罪を造らせるもので、一人に108つあるから、これを仏教で108の煩悩と言われる。なにわの高校生の会話に学ぼう。
仏教の根幹は、因果の道理です。善因善果、悪因悪果、自因自果。これはいつでもどこでも変わらぬ大宇宙の真理。しかし、悪いことが起きたときは、なかなか悪因悪果、自因自果とは思えないものです。なにわの夫婦の会話に学びましょう。
旦那という言葉は、もともと仏教から出た言葉です。どんな由来があるのでしょうか。なにわの夫婦のやりとりから学びましょう。
仏教の結論である「一向専念無量寿仏」とは、どんなことか。なにわの町内会の班長と隠居の会話に学びます。
「死んだ後はない」という夫。しかし、友人の葬式では神妙な面持ちで「ご冥福をお祈りします」と言っていた。後生は本当にあるのか?夫婦の会話に学びます。
「生きる=善いこと」が大前提だが、なぜそう言えるのだろうか?毎年、3万人以上の自殺者が出ている。「なぜ自殺はいけないのか?」に答えなければならない。先生と生徒の会話に学びます。
浄土真宗では、朝晩の勤行で、親鸞聖人の『正信偈』と蓮如上人『御文章』を拝読します。蓮如上人の『御文章』とは、どのようなものか、夫婦の会話に学びます。
昔から“法泥棒”と言って嫌われるのは、一体、どんなことなのか。なにわの夫婦の会話に学びます。
今日、世界の光と仰がれる親鸞聖人とはどんなお方だったのか?親鸞聖人のご生涯を分かりやすく描かれたアニメーションについてなにわの夫婦が会話をしています。聞いてみましょう。
浄土真宗で最も大きな行事が「報恩講(ほうおんこう)」です。親鸞聖人の御恩に報いる集まり、ということですが、どんな行事なのでしょうか?なにわのご隠居と善吉の会話に学びましょう。
阿弥陀仏は本当にまします仏様なのか?それを問題にしている「私」とは何ものか、ハッキリしているだろうか?なにわの夫婦が、何やら話をしています。聞いてみましょう。
「念仏称えさえすれば、死んだら誰でも極楽」と、多くの人が思っていますが、浄土往生が定まるのは平生の一念であることが『聖人一流章』に4回も書かれてあります。なにわの会話に学びましょう。
阿弥陀仏は、信ずる一つで救うと誓っておられるけれど、「信ずる」とはどういうことか。私たちの「信心」の実態をなにわの夫婦の会話に学びましょう。
法 楽 寄 席
人はいいのですが少しばかり頭が足りず、早合点でいつも失敗しております長屋の熊さんが、一ぺん大阪に行ってみたいと、東京から一人旅に出掛けてまいりました。
「どんな体験だろうと、三世十方を貫く、お聖教のお言葉と合致しなければ、二束三文だって。論より証拠の前に、証拠より論」
江戸っ子の威勢のいいのは結構ですが、勘違いからすぐカッとなる傍迷惑な方も随分あったようでございます。
「お釈迦さまの説かれた六つの善の筆頭が布施、施しです。施せば施すほど善い結果、旦那の幸せになりますよ」
「今風邪で死ぬのを逃れても、いずれまた死ぬ羽目になる。また慌てふためくぞ。だから急ぎ解決すべきは、後生真っ暗なその心のほうなのじゃ」
F館で会いましょう