人生を楽しく渡す大船あり
生徒「先生、昨年東北が被災した時、苦しみに負けないで、前に向かって生きてって、皆、言うてたけど、それって『生きること=善いこと』が大前提になってますよね。何でそう言えるんやろ?」
先生「何でって、もし『生きること=悪』なら、自殺も殺人も善になって、皆死んでまうやんか。ほやから当然『生きること=善』。死んではダメなんや。それがこの社会の基礎になってんねん」
生徒「でもな先生、基礎か何かしらんけど、生きることが何で善いのか聞いてるのに、死んではダメやから、で答えになるんやろか?」
先生「は?」
生徒「昼はええが夜はあかんと言われたとしてよ。『何で昼はええの?』って聞いたのに、『夜はあかんから』って言われたようなもんや」
先生「おまえな、そんなん、ただの屁理屈やで」
生徒「先生、今は理屈の話してんねん。それとも、理屈に詰まらはったんですか?」
先生「失敬な。生きることはな、ただそれだけで素晴らしいんや。作家の五木寛之さんもそう言うてる」
生徒「そうやろか?毎年3万人も自殺してるのに?」
先生「……それはな、いろいろ事情があったんやろ」
生徒「事情?」
先生「そや、生きることはつらいことなんよ」
生徒「先生、さっき生きることは素晴らしい言うたやん」
先生「あほ、苦しい中を生きるから素晴らしいんや」
生徒「だからそれは何でやの」
先生「しつこいな」
生徒「そこが大事やねん先生。崇高な生きる目的があってこそ、『生きる=善いこと』といえるんやないの?」
先生「そんな生きる目的なんてあるかい。なくたって、人はただ『生きたい』いう強烈で、盲目的な意志で生きてんねん。自殺する人かて、本心は生きたかったはずやで」
生徒「誰かて死にとうないわ」
先生「ほな『生きる=善』でええやないか。生きたいから生きて、それで幸せや」
生徒「そやけどな先生、生きた結末は?必ず死ぬんちゃうの?だとすれば、『生きているから幸せ』いうだけでは、100パーセント、大悲劇やよ」
先生「さっきから何や。ああ言えばこう言うて。そんなんでは嫁のもらい手なくなるで」
生徒「……あのな先生、昨日、先生の娘のマキちゃんに言われてん。『毎日苦しいのに、何で生きていかなあかんの?どうせ死ぬのに』って。これって自殺のサインかも?」
先生「おいおい、ほんまか?」
生徒「ほんまよ」
先生「で、どない言うたん?」
生徒「『でもなマキちゃん、親鸞さまはな〈難思の弘誓は難度の海を度する大船〉仰ってな、どんな苦しい人生の海も、明るく楽しく渡す船がある。だから早うこの船に乗りなさいって、声を限りに叫んではる』言うたんや」
先生「そ、それでマキは?」
生徒「『船がある?ホンマでっか?でも親鸞さまがそう仰るんなら、何やそんな気がしてきたわ。オトンが言うなら当てにならんけど』って笑ってた」
先生「トホホ、でもええこと言うてくれた」
生徒「だから先生、私のことそんな嫌わんといて」
先生「当たり前や……グスッ」