私に私が分からん?
妻「あんたどうしたん?浮かぬ顔して。何や呆けたサルに見えますで」
夫「ほっといてんか。わしは今な、大変な疑問にぶつかってんねん」
妻「へえ、どんな疑問やの?」
夫「ただでは言われへんな」
妻「そんなこと言わんと教えてえな」
夫「ほな言うけどな、阿弥陀さまってホンマにおられるんやろか?」
妻「あほか」
夫「何や、いきなりアホって。わしは人間として至極当然な疑問を言うたまでや。おられる言うんなら、ここでそれを証明してみい」
妻「だからあほや言うてますねん」
夫「こら、いくらカミさんでも、言うていいことと悪いことがあるで」
妻「そやけどあんたな、阿弥陀さまの前に、あんた自身のこと、ちょっとは分かってますんかいな?」
夫「は?自分自身?」
妻「そうよ、あんたは一体、何者やねん」
夫「何者っておまえ、亭主の顔も名前も忘れたんか?」
妻「人を認知症みたいに言わんとき。それはあんたの名前であり、顔形やろ。名前を変えたり、整形したらあんたでなくなるんか?」
夫「いや、そんなことない」
妻「そやろ、なら顔や名前は、あんた〝そのもの〟でないってことや」
夫「まあそうやな」
妻「iPSいう万能細胞ができてな、将来、人体ごとそっくり入れ替えられるかもしれんのよ。もしあんたで実験してみたら、今のあんたはどうなるんやろか?」
夫「うーん、細胞が全部入れ替わっても、私は私やろな」
妻「そうやろね。なら、その『私』ちゅうもんを、あんたどこにあると考えてんの?」
夫「へ?……」
妻「昔から、『目、目を見ることあたわず。刀、刀を切ることあたわず』と言われますねん。どんなによう見える目でも、その目で目自身は見られまへん。何でも斬れる正宗の銘刀でも、その刀自身を斬ることはできまへんのや」
夫「そりゃそうやろ」
妻「同じようにな、自分という存在はな、自分で見ようとしても近すぎて絶対に見えんもんなんや。だから昔の人は、『知るとのみ 思いながらに何よりも 知られぬものは 己なりけり』と教えてはる」
夫「そうか、わが身のことは全く分からへんのか」
妻「あっさり今言うたけどな、自分のことさえさっぱり分からんあんたが、大宇宙の仏方の本師本仏である阿弥陀さまが分からん?分かるように証明して見せよ?って何寝とぼけたこと言うてんねん。ちょっとは〝身の程〟ちゅうもんがあるん違いますか」
夫「す、すんまへん」
妻「ま、ええわ。親鸞聖人はな、南無阿弥陀仏の仏智を賜れば、この世の一切がウソ偽りであるとしても、阿弥陀仏ましますことだけはもう間違いないとハッキリすると断言されてますんやで」
夫「ほんまでっか!」
妻「ほんまやよ。『誠なるかなや、摂取不捨の真言、超世希有の正法』と仰ってはる」
夫「なるほど」
妻「ところで誰があんたにそんな疑問を起こさせたん?」
夫「わしの職場の人やけど、阿弥陀仏は架空の仏やと自信満々言うておったで」
妻「そりゃ創価学会やわ」
夫「そうかガッカリ」