類に随って解を異に
女「昔、奈良の猿沢の池に行ったことがありましてな」
男「ええですな、それで?」
女「そこで手を一つポンと打ちましたら、鹿は叱られたと思うて逃げましてん」
男「鹿が叱られた?ふふん」
女「ところが池の鯉は、餌をくれるのかと近寄ってきて」
男「ほう」
女「茶店のおカミさんは、お客さんに呼ばれたと思うて『ハーイ』と返事しましたんや」
男「なるほどな」
女「手を打つ音は一つなんやけど、聞く相手によって、それぞれ反応が違いましてん」
男「そら面白いな」
女「これを釈尊は、『仏、一音をもって説法を演説したもう、衆生、類に随って解を異にする』と」
男「ええっ何や突然、急に話が難しくなって。何で猿沢の池にお釈迦さまなん?」
女「よう聞いてんか。釈尊はお一人。その釈尊の説かれる法(教え)もまた一つ。それが『仏、一音をもって説法を演説したもう』ということや」
男「ふんふん」
女「ところが同じ説法でもな、聞く人はいろいろや」
男「うーん、男もいれば女もいる。お年寄りもあれば若者も。そういうことか?」
女「そや、賢い人もあったし、あんたみたいなポーッとした人もおったんや」
男「そうそう、私みたいなポーッとした……何でわしがポーやねん!」
女「知るかいな。そんなん本人に聞くことや」
男「そやそや、本人に聞いて……本人ってわしやないか!」
女「やっぱりポーッとしてはるわ。それでな、聞いてる人はそれぞれ異なる知恵や才覚、学問、経験で聞きますやろ。だから同じ話をお聞きしても、その人その人異なる理解になりますねん。それが『衆生、類に随って解を異にする』や」
男「そうかいな。でもいろんな解釈があってもええのとちゃうか?」
女「文芸鑑賞とちゃうねん。仏法は往生極楽の大事を決するために聞くんやで」
男「そ、そうやったな」
女「助けてくださる阿弥陀さまの御心に反して助かるもんやろか?」
男「そりゃ無理やろ」
女「阿弥陀さまは十方衆生を極悪人と見抜かれ、『そのまま任せよ』と仰せなんよ。なのに自惚れて仰せはそっちのけ。ああすれば、こうすれば、こうなったら、ああなったら助けてもらえるやろと各人各様の知恵や学問で計らってる。その計らいが『解を異にする』の『解』で、阿弥陀さまの御心に反しているんよ」
男「ほんまでっか!」
女「それを自力とも言い、捨てねば絶対助からんと教えられてますんや」
男「ほな、もう計らわんようにします。阿弥陀さまにお任せしてポーッとしてますわ」
女「それも計らいや」
男「は?ポーッとしててもでっか?何でなん?」
女「計らわんようにと計ろうてるやないですか」
男「そっか、そうなりますな。他力とは難しいんやね」
女「そうや、だから阿弥陀仏の御心をよーく聞かせていただくことよ。聴聞に極まる。けどな、弥陀の真実の18願だけ聞けばいい。19、20願は方便だから要らんと言うもんがおる。弥陀が方便願を建てられた深い御心も知らず、それこそ勝手な計らいや。そんな迷った話をするもんが来たら、近寄っても返事してもあかん。シカと逃げるこっちゃ」
男「シカり、シカり」