流転輪廻って何?
客「どや、大将、近頃は」
主「へえ、おかげさんで、ぼちぼちやらせてもうてます」
客「そうか、そらええな」
主「それがそうでもないんです。最近の若いもんは、寿司いうたら回転寿司しか知らんそうで、昔ながらの店はもうあきまへんわ」
客「そっかあ、大変やなあ。でもな、回転寿司って、人気のないネタはいつまでも回ってるやろ。あれ見るのは切ないで。まるで流転輪廻(るてんりんね)や」
主「今、何言いました?」
客「流転輪廻。仏教の言葉や」
主「は?仏教の言葉でっか。どうゆう意味ですねん」
客「流転も輪廻も、同じ所を際限なく回ることをいうんや」
主「ほな、お釈迦さまの時代にも回転寿司があったんで?」
客「あほ、そんなわけあるかい。これは我々人間の迷うとる姿を言われた言葉なんや」
主「迷うとる姿?」
客「そや大将、人間ちゅうのは何のために生きてる思う?」
主「いきなりですか。まあ何でんな……何か目標を持つ必要はありまんな。社長になるとか、職人になるとか、政治家になるとか、でもそれは何でもええのとちゃいます?」
客「そう、目標は何でもええ。けどな、目標ちゅうのは達成したらそこでおしまいや。次の目標が必要になってくる。大将、そやないか?」
主「そうですなあ……駆け出しの頃は仕事を覚えるのに必死やったし、仕事覚えたら妻子養うのに精一杯でしたし、養えるようになったら今度は、自分の店を持つのに一生懸命でしたけどな、達成すると何や目の前から明かりが消えてしもたようで……」
客「そこやねん、そうやって次、次と目の前の目標という明かりに向かって、結局どこ行くねん?」
主「どこへって、厳しいとこ突きまんな。ほんまいうたら、私もよう分からんのですわ」
客「そやろ。目標は通過点で、決勝点ではない。少し話を広げてな、明治から大正、昭和、平成と、世の中はすごい勢いで変わったで。戦後の焼け跡から見れば、国家目標のほとんどは達成したやろ」
主「まあ、そうですな」
客「でもな、そこに生きてる人間の満足感はどないや。すごい勢いで幸せになったか?」
主「うーん、それは……」
客「変わったのは世の中で、人の心は前と変わらん。昔も今も不安でむなしいままやないか?ほんなら全人類は、昨日も今日も明日も、あくせくして同じ所をぐるぐる回ってるだけとちゃうやろか?」
主「そやなあ、何やむなしい気がしてきましたで」
客「それを流転輪廻いうんよ」
主「ほな、どないしたらええんですか?」
客「仏法はな、流転輪廻を断ち切り、よくぞ人間に生まれたものぞという生命の大歓喜を獲る、人生の目的・決勝点を教えたものなんよ」
主「ほんまでっか?目標ではなく人生の目的。ほんなら一ぺん聞かせてくださいな」
客「そりゃええ、生きる目的がハッキリしたら、商売もますます精が出るで」
主「さよか。うちも回転寿司にして打って出よか思うてますねん。けど改装費が……」
客「ケチケチしてたらあかん」
主「私が回転して握るってのはどないですやろ」
客「は?大将が回転してどないすんねん」
主「だめでっか?」
客「だめやろな」
輪廻については、以下の記事も参考にご覧ください。
→仏教でいわれる輪廻転生とは?