「法泥棒」ではあかん!
夫「今日のご法話、ええ話やったな」
妻「ほんま、ええお話でしたなあ。でもあんた、お布施ちゃんと納めたん?案内があるたび、トイレに駆け込んでましたけど」
夫「何や見とったんか。実はな、納めてへんのや」
妻「あきれた。仏法聞きながらお布施を納めないような人を、昔から“法泥棒”言ってな、とっても嫌われますんやで」
夫「何や。そない怖い顔して」
妻「当たり前や、泥棒に優しい顔できますかいな」
夫「でもな、受付の人から『お気持ちで』って言われたんよ。ほんで、“感謝の気持ち”だけ置いてったんや」
妻「あほかいな。どこが感謝の気持ちやねん、都合のいいよう解釈して。人はごまかせても、まいた種は必ず生えまっせ。仏法を泥棒して、困るのはあんた自身やないの」
夫「そんな……仏さまの罰が当たるんか」
妻「あほ、邪教と違うで。私たちに罰を与える仏さまなんて、あらへんよ」
夫「ほな、何でわしが困ることあんねん。皆と同じ場所で、同じ話を聞きながら、財布の中身も減らさんかったんや。いちばん得したと思うけどな」
妻「残念やけど、それがその反対なんや。あんたがいちばん損したんよ。気の毒に」
夫「へ?ほんまでっか?」
妻「そうよ。例えば三ツ星の高級レストランで、フルコースを頼んだとしてよ」
夫「ふんふん、三ツ星の、フルコース、ええなあ、でも高つくやろなあ」
妻「それがたったの千円」
夫「え!千円?そんな安うてええんか。1万円でも安いで」
妻「そやろ。世界最高の料理を味わえたら、千円どころか1万円でも、スルッと出ますやん。反対にラーメンで1万円出せますか?千円もなかなかや。まして一口も口に入らんかったらどう?ビタ一文出す気にはなれませんやろ」
夫「そりゃそうや。お金は食べた満足に応じてやろな」
妻「同じことで、仏法聞いた時間は一緒でもな、千円布施された方は千円分、1万円布施された方は1万円分、それだけ仏法を受け取られたのよ。法を尊く味わわれたから快く布施されたんでしょ」
夫「なるほどな」
妻「あんたみたいに1円すら出し渋る人は、1日仏法聞きながら、1円も仏法を受け取れなかったってことなんよ。そんなおろそかな聞法では、千座、万座聞いても助からんから、いちばん気の毒な人やと言ったんや」
夫「何やと、わしは今日、1円も仏法を受け取れなかったいうんか?」
妻「そのとおりよ。受け取れたら、どうしてお布施も納めず帰ってくるようなもったいないことできますかいな。あんたは1億円の物もらって、お礼も出さん人なんか?」
夫「そんなことないで。でもな、仏法ってそんなに尊いものなんか?」
妻「そこよ。仏法は南無阿弥陀仏(名号)におさまります。その名号を蓮如上人は、『無上甚深の功徳利益の広大なること、更にその極まりなし』と仰ってはるで。でもあんたには『猫に小判』、少しも受け取れなかったんやな……」
夫「うーん、何や急に自分が情けなく思えてきたで」
妻「弥陀は名号を『早く受け取ってくれ』と十劫の昔からお呼びづめよ。なのに『金は弥陀より光る』でええんかいな?」
夫「ええわけないな、シュン」