袖触れ合うも多生の縁
夫「お願いがあんねんけど」
妻「あきまへん」
夫「まだ何も言うてへんがな」
妻「あんたが、そういう言い方した時は、お小遣いのことに決まってます」
夫「そんなこと言わんと、1万円でええから貸してえな」
妻「あんたに金貸して、返ってきたことおまへんで」
夫「そやけど、愛する夫の財布に千円札しか入ってなかったら、せつないやろ」
妻「全然」
夫「そないつれないこと言わんといて。袖触れ合うも多生の縁と言うやろ。道端で袖と袖が触れ合うだけでも、多生の縁や。ましてや夫婦。一緒に暮らすとは、よくよく深い因縁と思わんか?」
妻「そう。不快な因縁や」
夫「〝不快〟やない、〝深い〟ちゅうたんや」
妻「でもねえ、あんた。多少の縁って、少しの縁ということやないの?」
夫「あほ。『多少』やない、『多生』の縁や」
妻「ほんま?ほな多生ってどんな意味?豚の子みたいに、たくさん生まれてくること?」
夫「多産と違うで。多生いうたらな、人間に生まれてくる前、いろんなものに生まれ変わり死に変わりしてきた、果てしない過去世を言うんや」
妻「過去世?そんなこと、まるで見てきたみたいに言うけど、あんた何で過去世なんて分かるねん。昨日食べたものさえ忘れるあんたが」
夫「人を認知症みたいに言いないな。確かにこの頭は生まれた時にできたんやから、過去世のことは分かりようもないわな。でもな、親鸞聖人の教えられた真実信心を獲得すれば分かるんや」
妻「ほんまでっか?」
夫「そや、真実信心とはな、凡夫の頭でこう信じた、ああ理解したというのと違うんや。阿弥陀さまから賜る三世十方を貫く信心なんやで。その信心を獲得した一念に、過去世・現在世・未来世の三世を流転する生命の実相が知らされるんや」
妻「なんかすごいお話やね。親鸞さまは、どう仰ってはるの?」
夫「よう聞いてくれた。聖人はな、『自身は、現にこれ罪悪生死の凡夫、昿劫より已来常に没し常に流転して、出離の縁有る事無し、と深信す』と仰っておられる」
妻「どういう意味?」
夫「それはな、『現在、私は極悪最下の者、果てしない過去から苦しみ続け、未来永遠、救われることのないことがハッキリした』ということや」
妻「ほんまや。果てしない過去から、未来永遠の自分の姿を仰ってはるなあ」
夫「そうやろ。過去世も未来世もある。この目に見えんから、ないと思うのはおまえの勝手やけど、三世十方を貫く真実は、三世十方を貫かんおまえの頭では分からんのや」
妻「あんたに言われるとむかつくけどな、親鸞さまが仰るなら、やっぱり過去世はあるんやろうねえ……」
夫「そや、袖触れ合うも多生の縁。ましてや夫婦、おまえとワシとは多生の仲や。な、だから1万円貸してえな」
妻「またそれかいな、ない袖は振れまへんな」
夫「こら、あかんわ」