施しは幸せのタネ
夫「おーい、あれ、どこいった、あれ」
妻「あれて、何ですの?」
夫「ワシがあれ言うて分からんか、おまえは」
妻「あんさんが分からんもん、うちが分かるわけあれへん」
夫「何年ワシの女房やってんのや。見損のうたで」
妻「またそんな無茶を平気で言う。困った旦那や」
夫「ちょっと待ち。おまえ今、旦那言うたけどな、旦那の意味分かってんのか?」
妻「分かってるも何も、旦那はあんたや。それとも奥さんやったんか?気色わる」
夫「ちゃうがな。旦那とはダーナというインドの言葉からきてんねん」
妻「ほんまでっか?」
夫「そや、ダーナとはな、布施のことや。分かりやすく言えば『施し』や。仏教で勧められている善の筆頭でもあんねんで」
妻「よく知ってはるんやな」
夫「それでな、たくさん施しをする人を尊敬して、旦那様と言うようになったんや」
妻「そうやったら、あんたのことじゃないな」
夫「失敬な、ワシがこうして働いて養うたればこそ……」
妻「はいはい、感謝しております旦那様。で、今日は何を施してくれますの?」
夫「あほ、布施を強要するもんやない。でもな、布施は尊い善なんやで。『善』いうたら幸せのタネや。幸せのタネをまけば、その人に幸せの花が咲くねん。おまえかて幸せになりたければ、大いに幸せのタネをまくことや」
妻「そうか。でもな、施せば自分の物が減るんやないの。どんどん貯金が減って、どうして幸せの花が咲きますの?それどころか貧乏の花、咲きまくりやない?」
夫「そこやそこ。それが心が貧しいというねん。目先の損得しか見えんで、『出してたまるか!』って踏ん張っとるその心の向きが、不幸な人生へ向かわせていくんや」
妻「心の向き?……」
夫「そや、舵を切り間違えたらあかん。もっとな、人様を喜ばそう、幸せになってもらおうと、心の向きを変えて、思い切って施してみい。そうすれば出てったはずのもんが倍になって返ってくるで。ウソや思うかもしれんが、因果の道理は真実や。施せば必ず、幸せな人生へと追い風が吹く。だから幸せになりたければ、大いに施し、人を幸せにすることや。大切なんはその心の向きなんやで」
妻「ええこと言わはる。確かに自分のことしか考えん人は好かれんし、支えてももらえん。最後は自滅や。あんたは何もない人やのに、皆に頼られてはる。秘訣はそこか」
夫「褒めてんのか、貶してんのかどっちやねん。あ、待てよ。そうや、捜し物しておったんや」
妻「あんた、仏法のことならよう頭が働くのに、日常のことになると、何でこう……残念なんやろうね?」
夫「うるさい!もうええわ、会社行ってくる」
妻「ほんまに、短気な人やな」
夫「ほっとけ、生まれつきや」
妻「それはええけど、あんさん。ステテコのままでっせ」
夫「お、それや!ワシ、ズボン捜しとったんや」