演目「善の勧め」
熊「おう与太郎、知ってるか。『善人なおもって往生を遂ぐ、いわんや悪人をや』って。善人でさえ浄土へ生まれることができる、ましてや悪人はなおさらだってことよ」
与太郎「そりゃ楽でいいねえ」
熊「楽でいいって、お前、どう聞いたんだ?」
与太郎「スリに強盗、空き巣狙いに火事場泥棒、うーん、まだ足らないか?」
熊「ばか野郎、悪に励もうって話じゃねえや。この悪人ってのはそうじゃねえんだ。すべての人間のことよ。見聞知の仏さまからご覧になりゃあ、人間みな極重の悪人さ」
与太郎「ふーん」
熊「ふーん、て何だ、他人事みたいに言いやがって」
与太郎「いや、善いことは難しいからね。親孝行一つとっても、したい時には親はなしって言うし」
熊「お、いいこと言うじゃねえか、上等だ。人間ってのは罪深えもんだからな」
与太郎「でもさ、悪人が助かるんなら、善いことはやる必要ないんじゃないかい?」
熊「これだ。そういう聞き損ないが困るんだよ。善い種まけば善い結果。悪い種まけば悪い結果、それは仏教の根幹、因果の鉄則だ。親鸞さまの教えに、善が勧められていないとすりゃあ外道の教えになっちまう。それでもいいのか、このおたんこなす!」
与太郎「そりゃよくないよ。じゃあ善の勧めはあるのかい」
熊「あるのかいだとォ?あるに決まってるじゃねえか、親鸞さまの教えってのは仏教の真髄だい」
与太郎「うーん、そりゃ分かったけど、悪人でも助かるんだからやっぱり善はさあ」
熊「しつこいね、お前って人は。それとも何か?ご法談のあと、こっそり、『善の勧め、ありゃあ遠回りだよ』とか何とか言って人を引っ張ってく奴ってのはお前かい?」
与太郎「人聞きが悪いや。何だよそれ、遠回りって」
熊「『獲信にはコツがある。近道がある』って言う奴がいるらしい。お聖教に書かれた以上のコツや近道があってたまるかってんだ」
与太郎「で、そのコツ野郎が『善の勧めは要らねえ』って言うのかい?」
熊「ああ。お釈迦さまから七高僧、親鸞さまや蓮如さまに一貫した教えを無視して一体おめえ何様のつもりでえ」
与太郎「だからおいらじゃないって。勘違いしないでよ」
熊「何だとォ?このナス。そのポーッとした面はどう見たって怪しいや」
与太郎「顔は関係ないだろう。とにかく善を勧めないってのは大間違いなんだな」
熊「あたぼうよ。『善を勧めるのは遠回り』だあ?だいたい阿弥陀さまが、善を勧めていらっしゃるのに何言ってやんでえ。これ以上の近道があるもんか。このポンポコなす!」
(ポカッ!)
与太郎「あーん!何でおいらのおでこをぶつの?」
隠居「おいおい大声で、何があったんだい」
与太郎「あ、ご隠居さん。熊さんがいきなりぶつんだよ」
隠居「おい熊さんや。何があったか知らないが、与太郎のことだ。ひとつ勘弁してやってくれないか」
熊「いえねご隠居さん、善の勧めは無いって野郎のこと話してたらついカッときて、そしたらこいつが目の前にいて」
隠居「おいおいそんな乱暴な。お前さんこそ、もっと善を心がけなさいよ……」
与太郎「そうだ、そうだ」
隠居「二人ともよく覚えときなさい。弥陀のお目当ては、〝極重の悪人〟だ。だがそれが自分のこととは、頭だけで分かるもんじゃない。なればこその釈尊のご教導だ。仏語のとおり、進ませてもらうのが肝心だよ」
与太郎「へい。でも仏語はいいが、ぶつのはごめんだ」