親鸞学徒追悼法要って何?
朋美「ねえねえ法子さん、今度親鸞会で追悼法要があるって聞いたけど、一体どんな行事なの?」
法子「正確にいうと“親鸞学徒追悼法要”ね」
朋美「ただの追悼法要じゃないの?」
法子「そうよ、そもそも“葬式や法事は亡くなった人のため”っていうのが常識になっているけど、それは本来の仏教じゃないのよ」
朋美「へーそうなんだ」
法子「お経って、お釈迦さまの説法を書き残したのでしょう。ということは、お経に書かれていることは皆、生きた人相手に説かれたものなのよ」
朋美「なるほど、そうね、亡くなった人にお釈迦さまが説法されるはずないものね」
法子「そうそう、生きている人に説かれたのが仏教なのよ」
朋美「じゃあなぜ追悼法要をするの?」
法子「いい質問ね。ポイントは勤める人の心構えなの」
朋美「心構え?」
法子「そうよ、ほら、いつも私たちは仕事や勉強、つきあいやら習い事でなかなか心を落ち着けることができないでしょう」
朋美「そうなの、またレポートが出てて大変」
法子「“忙しい”っていう字があるよね。この字は、りっしんべんに、亡くす、と書くでしょう」
朋美「うん、そうね」
法子「りっしんべんには“心”って意味があるんだ」
朋美「あ、なんか習ったことがあるような」
法子「でね、忙しいという字をもう一度見てちょうだい」
朋美「えーと、りっしんべんが心という意味だから、心、亡くす?」
法子「うん、忙しいっていう字はね、“心を亡くす”って意味なの。生きる目的を求める“心”を“亡”くしてるってこと」
朋美「へー知らなかった!漢字ってよくできてるね。なるほど、人間として大事な心を亡くしているわけだ」
法子「そうなの、いちばん大事な心を亡くして、ただ走り回っていても、どこにもたどりつけはしないわ」
朋美「確かにそうね、苦労した割には心に何も残ってないってことがよくあるもの」
法子「もし自分の命が24時間しかない、となったらどうかしら」
朋美「そうね、今、忙しい忙しいと必死になってることよりももっと大事な“何か”があるような気がするわ」
法子「さすが、朋美さんね、そう、そのことに気づくことがとても大切なの。
『こんなことが知りたい』にはこう書かれてあるわ。
1年に1度、 大自然の中に静かに息づく墓前にぬかずくことは、人生を見つめる得がたい機会になることは間違いありません。「オレも一度は死なねばならぬのか」
と、 生死の一大事に触れて厳粛な思いがするでしょう。
ただ先祖の墓参りをするだけなら祖先崇拝の習慣とか、
道徳だけに終わってしまいますが、 これを勝縁として墓前で合掌する、
そのままが私自身の一大事に合掌することになれば有意義な墓参りとなりましょう。
同じように、親鸞学徒追悼法要は、亡くなられた方をご縁として無常を念じ、今生きている私が、仏教を大切に聞かせていただくためのものなの」
朋美「なるほど、それで“親鸞学徒”追悼法要なわけね」
法子「朋美さんは理解が早いわね、そう“私のため”のご縁なのよ」
朋美「法子さん、ありがとう。よく分かったわ。じゃあ早速レポートを仕上げて、参詣できるようにしなきゃ」
法子「そうそう、しっかり目的があれば勉強にも力が入るってものよ」
朋美「ほんとそうね、俄然やる気が出てきたわ。じゃあ、涼しい喫茶店で一緒にやらない?」
法子「賛成、じゃあ、いつもの喫茶店に行きましょうか」
朋美「決まり!ってあれ、財布どこいったかな?」
法子「もー。心を亡くしちゃいけないけど、財布もなくさないでね」