これも自因自果なんやろか
夫「あーあ、今度の会社もまたクビになってしもたわ」
妻「あんたのおかげで新しく入れる人ができるんやから、よろしいやないの」
夫「おまえのように思えたらええなあ。だが今回はな、あの会社が悪いと思うで」
妻「まあまあ、腹も立つやろけど因果の道理や。まかぬ種は絶対生えんし、まいた種は生える(自因自果)。また頑張ればええやん」
夫「おまえはいつもそう言うけどなあ、世の中、自分のせいでこうなったとは思えんことがたくさんあるで」
妻「そうかあ、どんな時?」
夫「例えばやな、この前、車に当てられてAさん怪我したやろ。悪いのはわき見してたあの運転手で、Aさんは悪うないで。それでもAさんの自因自果と言うんか?」
妻「気の毒やったけど、それもやっぱり自因自果でっせ」
夫「ほんまでっか?何でえな」
妻「気持ちは分かるけど、よく考えてみて。確かにそんな車がなければ、Aさんは大怪我せえへんかった。だけどな、車が来てもそこにAさんがおらんかったら、やっぱり怪我はせえへんかったんやない?」
夫「そりゃそうやろ」
妻「ということはやね、Aさんが事故に遭うという結果は、車が飛び出す、Aさんがそこにおる、この二つがそろって初めて起きることなんよ」
夫「まあ……そうやな」
妻「車が飛び出してきた原因は運転手にある。だから事故については、100パーセント運転手が悪いんや」
夫「そうやろ」
妻「でもな、何でその相手がAさんやったん?それも運転手が原因か?」
夫「ん?それは違うな」
妻「じゃあその車に当たってしもたのがAさんやったんは、何が原因なんやろね?」
夫「は?その原因?」
妻「そう。事故は運転手のせいでも、車が来たその時その場になぜAさんがいたんか?大事なんはそこよ」
夫「そんなん偶々(たまたま)やろ。運が悪かっただけや」
妻「そこよそこ。その『運が悪かった』の運て何?」
夫「運?運いうたら運や」
妻「うふふ、さっきからウンウンて、トイレで踏ん張ってんのとちゃうねんで。運に善し悪しがあるんなら、それは何で決まるんかって話よ」
夫「う~ん、そんなん考えたこともあらへんかったなあ」
妻「考えようと考えまいと原因は必ずあるんや。この事故の場合、あの車はAさんにとって、怪我をした因やなくて縁(間接的な原因)になるんよ。でもなぜAさんはその場にいたんか?その原因を突き詰めて考えてみて。『偶々(たまたま)』や『運』なんて言葉は、考えるのを投げ出しただけやよ」
夫「んー、するとやっぱり本人に原因があるんやろか」
妻「そう、お釈迦さまはそう仰ってんねん。因が欠けても、縁が欠けても結果は現れんけど、因縁がそろえば結果は生ずる。あの車は縁。だから自因自果は揺るぎまへん」
夫「そうか、じゃあ会社クビになったんも、わしに因があるんか。何や自信なくしたで」
妻「何を言うてはんの。あんさんみたいな器の大きい人は、会社勤めには向いてへんのよ。どーんと構えてればそのうち、天職が見つかりますわ」
夫「天職見つけにまた転職、なんちゅうて」
妻「ま、だからクビになるんかもしれんな」