「往生」の言葉の意味を「困った」とか「弱った」という意味で使われる誤用が目立ちます。「往生」は仏教の言葉。本来の意味をなにわの夫婦のやりとりから学びましょう。
「袖触れ合うも多生の縁」と言われます。「多生の縁」とはどんなことなのでしょうか。なにわの夫婦のやりとりから学びましょう。
旦那という言葉は、もともと仏教から出た言葉です。どんな由来があるのでしょうか。なにわの夫婦のやりとりから学びましょう。
人間は煩悩の塊である、と仏教では教えられる。煩悩とは、私たちを煩わせ、悩ませ、罪を造らせるもので、一人に108つあるから、これを仏教で108の煩悩と言われる。なにわの高校生の会話に学ぼう。
仏教の根幹は、因果の道理です。善因善果、悪因悪果、自因自果。これはいつでもどこでも変わらぬ大宇宙の真理。しかし、悪いことが起きたときは、なかなか悪因悪果、自因自果とは思えないものです。なにわの夫婦の会話に学びましょう。
旦那という言葉は、もともと仏教から出た言葉です。どんな由来があるのでしょうか。なにわの夫婦のやりとりから学びましょう。
仏教の結論である「一向専念無量寿仏」とは、どんなことか。なにわの町内会の班長と隠居の会話に学びます。
「死んだ後はない」という夫。しかし、友人の葬式では神妙な面持ちで「ご冥福をお祈りします」と言っていた。後生は本当にあるのか?夫婦の会話に学びます。
「生きる=善いこと」が大前提だが、なぜそう言えるのだろうか?毎年、3万人以上の自殺者が出ている。「なぜ自殺はいけないのか?」に答えなければならない。先生と生徒の会話に学びます。
浄土真宗では、朝晩の勤行で、親鸞聖人の『正信偈』と蓮如上人『御文章』を拝読します。蓮如上人の『御文章』とは、どのようなものか、夫婦の会話に学びます。
昔から“法泥棒”と言って嫌われるのは、一体、どんなことなのか。なにわの夫婦の会話に学びます。
今日、世界の光と仰がれる親鸞聖人とはどんなお方だったのか?親鸞聖人のご生涯を分かりやすく描かれたアニメーションについてなにわの夫婦が会話をしています。聞いてみましょう。
浄土真宗で最も大きな行事が「報恩講(ほうおんこう)」です。親鸞聖人の御恩に報いる集まり、ということですが、どんな行事なのでしょうか?なにわのご隠居と善吉の会話に学びましょう。
阿弥陀仏は本当にまします仏様なのか?それを問題にしている「私」とは何ものか、ハッキリしているだろうか?なにわの夫婦が、何やら話をしています。聞いてみましょう。
「念仏称えさえすれば、死んだら誰でも極楽」と、多くの人が思っていますが、浄土往生が定まるのは平生の一念であることが『聖人一流章』に4回も書かれてあります。なにわの会話に学びましょう。
阿弥陀仏は、信ずる一つで救うと誓っておられるけれど、「信ずる」とはどういうことか。私たちの「信心」の実態をなにわの夫婦の会話に学びましょう。
阿弥陀仏は十方衆生を極悪人と見抜かれ『そのまま任せよ』と仰せ。なのに自惚れて、ああすれば、こうすれば、こうなったら、ああなったら助けてもらえるだろうと各人各様の知恵や学問で計らっている。その計らいが阿弥陀さまの御心に反しているのです。
阿弥陀仏の願いが私たちの上に満たされる。これが真実の仏法です。阿弥陀仏は、欲や怒りの煩悩しかない私たちを見てとられて、煩悩具足の者を絶対の幸福にしてやりたいと願われてるのです。