後生ってほんまにあるの?
夫「どや見てみ、このスーツ。英国製やで」
妻「でもなあ、あんた、バーバリーのスーツが上下で8千円って、いくら何でも安すぎやしませんか。まただまされたんやないの?」
夫「そんなはずないで。『後生やから』と店員を拝み倒して安うしてもらったんや。わいの誠意が通じたんよ」
妻「そんな誠意あるかいな。値切り倒しただけやんか」
夫「ま、そうとも言うな」
妻「あきれた。それはそうと、あんたさっき『後生』言いましたな。後生言うたら、死んだ後のことでっせ。あんた、いつも死んだ後なんかないって言うてましたやんか」
夫「は?あれは慣用句や。別に死後を認めたわけやないで」
妻「でも先月、お友達の葬式で、『冥福を祈ります』言うてましたやん。冥福いうたら冥土の幸福ちゅうことで、冥土とは後生のことや。お友達の後生の幸福を祈っておったんやないの?」
夫「うーん、ただの慣習として言っただけやけど……」
妻「その割りには、えらい神妙な顔でしたで。いくら慣習でも、納得できんことは真心込めては言えんでしょ?」
夫「そうやろか?」
妻「ほなあんた、未開の国へ行ったとして、現地の習慣なら、雨請いの儀式でも真心込めてやらはるんですか?」
夫「そりゃ無理やで。そんなもん迷信やないかい」
妻「ほやろ。同様にな、死後の存在が迷信やとハッキリしてたら、『冥福を祈る』なんて神妙な言葉、出てくるはずがないねん」
夫「ほな、おまえは、わしも心のどこかで後生を認めてると言いたいんか?」
妻「そうです」
夫「でもな、理屈で考えてみ。私の心いうても全て脳の働きやろ。だったら脳が消滅すれば私も消滅や。後生なんてどこにもあらへんよ」
妻「そこよそこ。脳でも何でもいいけど、『それが私や』と見ているその『私』は、どこにおりますのん?」
夫「へ?私を見ている私?何や、けったいな話になってきたな。うーんどこやろ?」
妻「私の存在を尋ねている、そのご主人さまこそ『真の私』やねんけど、それは見えまへんのや。例えば、自分の目で自分の目は、どう頑張ったって見ることできまへんやろ」
夫「そやな。ほな、私に私は分からんもんなんか?」
妻「そう、『真の私』はな。脳科学者が、自分の脳を対象にどれだけ研究しても、『真の私』は見つからへんよ」
夫「『脳=私』ではないとすると、ほな、脳の消滅は私の消滅を意味しないな……」
妻「そやね。肉体は80年程度のあくまで『借り物』。『真の私』は肉体の消滅と関係なく、永遠に続くと仏法では教えられているんよ」
夫「ほんまでっか?」
妻「本心では誰もが後生を予感してる。身近な人が亡くなると、皆、その人の冥福を祈りだすのがその証拠」
夫「冥土ねえ。やっぱりあるのかもなあ……話は変わるけどな、さっきこのバーバリーのスーツをわしに着せながら、『冥土に行っちゃいな』ってつぶやいたやろ。あれは何の呪いや?おまえ、わしに早う死んでほしいんか?」
妻「あほ、聞き違いよ。あの背広な、残念やったけど襟元に『メイド・イン・チャイナ』って書いてあったんや」