「こうなった」の体験談は、みえみえの自己宣伝
親鸞学徒は本道のみを往く
蓮如上人は「一日も片時も急いで信心決定(しんじんけつじょう)せよ」と『御文章』に仰せである。
明日をも知れぬ命を思えば、急がなければならないのは当然であるが、何事も焦りは禁物。
獲信を急ぐ聞法者に「こんな話は遠回り。もっと近道がある」「こっちの人は、みんな獲信した」とうそぶき、近づいてくる者がいるからだ。
親鸞聖人、蓮如上人のお言葉を出して、懇切丁寧に解説する親鸞会の二千畳のご法話以外に正しい教えを聞けるところがあったのか、と行ってみれば、案の定、そんなところで聞かされるのは、「私はああなった」「こうなった」の体験談のオンパレードである。
福井県の親鸞学徒のAさんは、かつて「ちょっと変わった教えが聞けるよ。うちに来ないかい」と、誘われたことを語ってくれた。
看護師を退職後、近所の浄土真宗の寺に熱心に参っていたAさんが、ある時、友人から誘われ、「何かあるかも」と期待して、友人宅を訪れた。
そこには、10年以上聞いているという“ベテラン”が5、6人集まっていた。早速、変わった教えを聞かされた。
人間には2つの心がある。死ぬとなくなる意識と、腹底のどうにも動かぬ心。この2つをスカッと分けて、腹底の心が自分だと分かれば極楽に往けるという。
どうすれば分かるのか。
夜寝る時に腹に手を当てて、これが自分なんだなあ、と感じるだけだと言われた。
「早速やってみるんだけれど、感じたところで何も変わらない。そのままグーと寝てしまいました」
皆が、「信心決定した」と言うので、どんな体験か聞いてみると、
「紫雲がたなびいた時に救われたと思った」
「そこらじゅうが真っ黒になって、それが一念と思った」
など様々だった。
「ちっとも理解できないので、『基礎的な教えを聞かせて』と何度も訴えました」
しかし彼らの答えは決まって、
「聞いた、読んだは必要ない」
「どうしたら?と悩んでも、役に立たん。夜ぐっすり眠れないよ」
これでは話にならないと思った。
活動といえば、毎日友人宅でお茶を飲みながら、自慢話に花を咲かせるだけ。お仏壇はあったが、開かれたことは一度もない。当然、勤行も、念仏の一声すらなかった。
「食事も阿弥陀さまに手を合わせてからと厳しく言われて育った私にとって、これが浄土真宗?と感じていました」
不審はつのる一方だった。4、5年通い続けたが、次第に足は遠のいた。
その後、初めて親鸞会館に参詣したAさん。静まり返った講堂、礼儀正しい大勢の若者たち、声のそろった勤行。
「涙が止まらなくなりました」
そして親鸞聖人のお言葉を示して、一字ずつ丁寧にお話しくださる高森顕徹先生のご説法に、
「こういう教えが聞きたかった!」
と感激し、すぐに親鸞学徒になった。
かつての仲間から「そんな遠回りするな」と“忠告”されるが、「あんな安楽イスに腰掛けていたら、永久に救われんところだったわ」と振り返る。
「低くても 高くてもみな 山は山」と言われるように、“獲信”の疑似体験者は周りに満ちている。
それらの“体験者”は、
「畑仕事をしていた時、真っ暗闇に落ちて救われた」
「風呂場で素っ裸のまま躍り上がった」
「腹底から念仏が噴き上がった」
などなど、「あぁなった」「こうなった」の体験談を語ってくる。
結局は、みえみえの自己宣伝以外の何ものでもないのだが、聞かされた人は「なんとかそんな体験をしたいものだ」と聞いた話をもとに“獲信の型”を創造し、自らをそれに当てはめようと一心になるのである。
やがて泣いたり、わめいたり、笑ったりして、その体験を“救われた”と思い込み、“獲信”とするのだから早い。
多くの“体験談”を聞くことで、先入観が生じ、似ても似つかぬ“獲信体験”をホンモノだと自己暗示するのがそのメカニズムだ。
肝要は、“多くの体験談を聞く”ことにある。
体験談は生々しいほどよく、より多く聞かせ読ませることが、強い暗示を与え相乗効果を高める。
こんな火宅無常の世界の、そらごとたわごとの考えを、三世十方を貫く仏法に持ち込んだのが、体験至上主義の誤りの元である。
親鸞聖人も覚如上人、蓮如上人、歴代の善知識方が迷いごとを語られなかった理由は明白だろう。
「こんな話は遠回り。もっと近道がある」「こっちの人は、みんな獲信した」と近づいてくる者らの生命線は、そんな体験談なのだ。
体験談以外に話すことのない彼らに、体験談を話すな、書くなということは、親鸞学徒に、親鸞聖人の教えを説くな、教えるな、というのに等しい。
体験談 ほかに売り物 さらになし
罪ふかし 自慢ばなしに する仏法
親鸞学徒は、「私はああだった」「こうなった」の私事を説かれなかった覚如上人、蓮如上人のように、専ら親鸞聖人の教えと、他力の信心徹底に努める親鸞学徒の本道を進ませていただこう。