親鸞学徒の本道で邪義を破る
私たち親鸞学徒が破らなければならない邪義(間違った教え)は数多い。その代表的なものが浄土真宗に3つある。
一つは、後生を認めない一益法門(いちやくぼうもん)の異安心だ。死後の浄土往生を認めず、阿弥陀仏の救いはこの世だけとする誤りである。
蓮如上人の封印を破って『歎異抄』を世に広めた清沢満之に始まる近代教学といわれるものだが、このたび発刊された、前・大谷大学学長・小川一乘氏の監修による「『歎異抄』の世界」を読むと、相変わらずその邪説が繰り返されている。
「浄土は死んでから行く世界などと主張すれば、親鸞の仏道の正しい了解ではなくなってしまう」
「『大経(※)』に説かれる往生浄土は、通念的に理解されるような死後の往生ではない。(中略)親鸞が言う浄土は、死後の世界ではなく」
本願寺教学のトップが、堂々とこのような本を出しているのである。彼らは一体、親鸞聖人の次のお言葉をどう読んでいるのだろうか。
※大経…大無量寿経(だいむりょうじゅきょう)のこと。親鸞聖人は、主著『教行信証』に、「それ真実の教を顕さば、すなわち『大無量寿経』これなり」と、大無量寿経だけが真実のお経であると断言されています。
「この身は今は歳きわまりて候えば、定めて先立ちて往生し候わんずれば、浄土にて必ず必ず待ちまいらせ候べし」(末灯鈔十二通)
〝親鸞、いよいよ今生の終わりに近づいた。必ず浄土へ往って待っていようぞ。間違いなく来なさいよ〟
「信心の定まると申すは、摂取にあずかる時にて候なり。その後は、正定聚(しょうじょうじゅ)の位にて、まことに浄土へ生るるまでは候べし」(末灯鈔十三通)
〝「信心が定まる」というのは、摂取不捨の幸福を獲得した時のことである。それからは、必ず浄土へ往けるという大安心・大満足の正定聚といわれる、無上の幸せ者になり、それは死ぬまで変わらないのである〟
また蓮如上人は、「後生の一大事」とは死後永く地獄で苦しむことであると、こう明示されている。
「後生という事は、ながき世まで地獄におつることなれば、いかにもいそぎ後生の一大事を思いとりて、弥陀の本願をたのみ、他力の信心を決定すべし」(帖外御文)
仏教は、後生の一大事のあることと、その解決の方法を教えられたものだから、後生を否定するものは外道に他ならない。
一方で、死後の浄土は認めるものの、我々はすでに助かってしまっているから死ねば必ず極楽浄土へ往ける、という十劫安心といわれる異安心も、真宗には多い。
さらに、教えよりも体験、という体験至上主義のグループも各地にはびこっている。
高森顕徹先生の『歎異抄をひらく』は、こうした、あらゆる邪義・異安心を、親鸞聖人のお言葉でことごとく切り倒されている。まさに、親鸞学徒の本道の凄さを如実に示された、稀有(けう)な書なのだ。
親鸞会は、親鸞聖人のお言葉で教えを明らかにする親鸞学徒の本道を、ひたすら進むのみである。
【マンガ】歎異抄をひらくの衝撃度 ~親鸞学徒の本道で邪を破る~