たくましき他力の信心
それにしても驚いた。安倍晋三前首相の突然の辞任会見にである。
所信表明の翌々日、これから野党の代表質問が始まろうとしている矢先の辞意表明には、民主党の小沢一郎代表ならずとも、「本当にどうなっているのか。首相の思考方法はよく分からない」とあきれるほかはない。
「心が折れた」と表現した新聞があったが、一国の総理にしては、あまりにも精神が脆弱ではなかろうか。
新興宗教に入信した母親の意見で、閣僚人事を決めていたという話も出てきている。
本当だとすれば、国の命運を握る首相が、精神面では全くひ弱で自信がなく、母親や迷信にすがりついていた事実が浮き彫りになってくる。
それにしても仏法を知らぬ人間の、何とたよりないことだろうか。
世間にて時宜しかるべきは善き人なりというとも、信なくば心おくべきなり、便りにもならず。たとい片目つぶれ腰をひき候ようなる者なりとも、信心あらん人をば頼もしく思うべきなり
(蓮如上人・御一代記聞書)
どんなに世間でもてはやされている者でも、自力の信心は弱いもの。たよりにならぬ。たとえ肉体はよぼよぼでも、他力金剛心の人は強いのだと蓮如上人は仰有る。
そういえば、親鸞会のお年寄りはいきいきしている人が実に多い。信仰の力が、そのまま生きるエネルギーとなっているのだろう。
いまどきのニートやひきこもりの若者たちも、生きる目的を知って、立ち上がり、たくましく歩き出す。
念仏者は、無碍の一道なり。そのいわれ如何とならば、信心の行者には、天神地祇も敬伏し、魔界外道も障碍することなし (歎異鈔七章)
他力の信心を獲た念仏者は、一切が浄土往生のさわりにならぬ、素晴らしい世界に生かされる。さわりだらけの世界のさわりのままで、全く放たれた自由人となれるからである。
大乗相応の地といわれる日本。仏心を体現し、混迷の世界に光を与える頼もしいリーダーが現れてほしいものだ。
心に光を、そして明るい人生を。