大悲の願船と二度の救い
「生死の苦海ほとりなし
久しく沈めるわれらをば
弥陀弘誓の船のみぞ
乗せて必ず渡しける」(親鸞聖人)
「弥陀弘誓の船」とは、阿弥陀仏の本願のことである。
大宇宙の仏方から本師本仏と仰がれる阿弥陀仏は、「どんな人も必ず絶対の幸福に救う」という本願を建てられている。
どの仏さまにも本願はあるが、相手を選ばず、すべての人を救うと誓われているのは、弥陀の本願のみだから、親鸞聖人は弘誓と言われている。
「生死の苦海」とは、苦しみの波の絶えない人生を、荒波の絶えない海に例えられているのである。
地震、台風、記録的な豪雨など、今年も自然災害が相次いでいる。
「今までテレビで見ていたことが、まさか自分の身に起きるなんて」と呆然とする痛々しい姿が映る。
一つの苦しみを乗り越えて、ヤレヤレと一息つく間もなく、新たな苦しみに襲われる。
科学の進歩で生活は便利になったが、人間の苦しみは一向に変わらないことは、歴史が証明している。月へ行こうが、火星に行こうが、どこまで泳いでも、本当に安心できる陸地は見当たらないのだ。
しかも、苦海はこの世だけのことではない。人間に生まれる遠い過去からの苦海であるから、「ほとりのない生死の苦海」と、聖人は仰っている。ほとりのない苦悩の大海に、さまよい迷っているのが、人間の実態なのである。
そんな我々を阿弥陀仏は、「苦海から大船に救い上げ、絶対の幸福にしてみせる」と誓われているのだ。その大船は、極楽浄土へ進んでいる船であるから、「必ず浄土へ渡しける」と断言されている。
弥陀の浄土は、限りなく明るい世界であるから、親鸞聖人は無量光明土と仰せである。
生きている平生に、弥陀の大船に乗せていただき絶対の幸福に救われ、後世は浄土に往生すると同時に、弥陀同体の仏になれるのである。往生即成仏といわれる。
この世は絶対の幸福、死しては無量光明土で仏のさとりをひらく。弥陀の救いは、二度あるのである。
親鸞聖人は、この弥陀の本願を「大悲の願船」とも言われている。
「すべての人を絶対の幸福に救いたい」という阿弥陀仏の大慈悲心によって造られた大船だからである。
人間のどんな慈悲も、相手は限定され、続かないが、弥陀の大慈悲は万人平等で、永遠に不変である。いつまでも、どこまでも、すべての人を救済し、浄土に往生させるまで、弥陀の大悲は止むことがないのである。
ああ、阿弥陀仏の本願は、まさに大悲の願船なのだ。