『歎異抄をひらく』から1年5カ月の現状
今、『歎異抄』をめぐって不可解な現象が起きている。
昨年3月に発行された『歎異抄をひらく』(高森顕徹先生著)は15万部のベストセラーになり、待望の書として、今も多くの読者から反響が寄せられている。
不可解というのは、この書が世に出るまでは、毎年十冊前後出ていた『歎異抄解説書』が、『歎異抄をひらく』発刊後1年5カ月経った今日もまだ、新刊が見られなくなったことである。
見られないと言うとやや誤解があるかもしれないが、既刊本に加筆されたものや復刻は幾つか出たし、真宗大谷派の親鸞仏教センターが5年かけたという解説書も、一応昨年出るには出た。だが、事実上、『ひらく』の後の新作と呼べるものはないと言ってもよさそうである。
日本の思想界で、これは異例のことではなかろうか。
国宝級の名文『歎異抄』
言うまでもなく『歎異抄』は、親鸞聖人の言葉を記した書として有名で、その文体は古今の名文の誉れ高く、これほど多くの読者を持つ古典も異数であろう。
哲学者・西田幾多郎は、第二次大戦末期、空襲の火災を前にして、「一切の書物を焼失しても、『歎異抄』が残れば我慢できる」と言い切ったという。
同じく三木清は、「万巻の書の中から、たった一冊を選ぶとしたら、『歎異抄』をとる」と言い、『歎異抄』から深い感動を受け大ベストセラー『出家とその弟子』を著した倉田百三は、「『歎異抄』よりも求心的な書物は、おそらく世界にあるまい。文章も日本文としては実に名文だ。国宝と言っていい」とまで絶賛している『歎異抄』は、不朽の名著に違いない。
これら哲学者や作家のみならず、右翼から左翼まで幅広く、日本の思想界に圧倒的多くのファンを持つ『歎異抄』。
真宗界においても、『歎異抄解説本』を出すことが、学者の証のようにさえなっている。
しかも、2年後に迫った親鸞聖人750回忌、競うように出版されても決して可笑しくないはずなのに、なぜか一向に出ないのだ。
まさに異例である。
「『歎異抄をひらく』が、それほど大きな衝撃を与えたのでしょう」
ある出版通は語るが、一体、どういうことなのだろうか。
まず『教行信証』の正しい理解から始めねばならない
『歎異抄』は、三章冒頭の「善人なおもって往生を遂ぐ、いわんや悪人をや」に象徴されるように、全編が謎めいた逆説に満ちている。
変幻自在の表現は、読者を翻弄し続けてやまず、700年間、真意はほとんど誰にも知りえなかったといっていいだろう。
逆に言えば、どんな自由奔放な解釈もできたし、それがまた許されてもきた。
だからこそ、誰もがこぞって独自の解釈を発表してきたのである。
しかし、親鸞聖人の真意は唯一のはず。
高森先生が『歎異抄をひらく』の「はじめに」に明記されているように、親鸞聖人の主著『教行信証』などをもとに、『歎異抄』の解明に鋭意努められた書である。
だから『ひらく』の随所に親鸞聖人の直説が示され、それに基づいて『歎異抄』の不可解とさえ思える文章が、鮮やかに説き明かされている。
一例を挙げれば、親鸞聖人の教えは唯信独達、つまり他力の信心一つで助かる教えだが、『歎異抄』には、念仏ばかりが強調されている。
だから、念仏を称えれば助かるのだと、著名な学者ですら誤解してきたのだが、『歎異抄をひらく』では聖人の『教行信証』のお言葉を根拠として、この念仏は、信心決定したあとの他力の念仏であることが、明らかにされている。
もし、『歎異抄をひらく』の内容に異論、反論があるとすれば私見を挟まず、まず『教行信証』の正しい理解から始めなければならないだろう。
それがなされなければ、『歎異抄をひらく』は、『歎異抄』理解の決定版となり、何千冊にも及ぶ過去の歎異抄解釈が、すべて覆される事態にもなりかねない。
「これまでの歎異抄解説書は、一体何だったのだろうか」
ある読者の感想は、それを示唆しているようでもある。
この沈黙は いつまで
かつて『誤解された歎異抄』という著を物した哲学者もあったが、名立たる親鸞研究家、歎異抄愛好家諸賢の沈黙の長短は、そのまま、『歎異抄をひらく』の衝撃度を表すバロメーターと言えるかもしれない。
無責任を問われることを恐れて書かなくなったと思われても仕方がなかろう。確かに何処か深いところで地殻変動が静かに進行しているかのようだ。
新刊『歎異抄解説書』が出るまでの、一日一日は予想を絶して重い。