ダントツ人気の『歎異抄』なのに……
作家・司馬遼太郎氏は、死と隣り合わせた戦地での日々、愛読したのが『歎異抄』だったと述懐する。
「読んでみると真実のにおいがするのですね。人の話でも本を読んでも、空気が漏れているような感じがして、何か嘘だなと思うことがあります。『歎異抄』にはそれがありませんでした」(『司馬遼太郎全講演第1巻』)
総刊行数5400冊の岩波文庫中、多く読まれた順では『歎異抄』が8位という。
また、平成21年7月17日時点で、インターネットの通販サイト(アマゾン)を検索すると、三大古典の「解説書」の数が、以下のように記載されている。
『歎異抄』約800冊、『徒然草』約480冊、『方丈記』約190冊、三大古文の中でも『歎異抄』が、如何にダントツかが分かる。
「『歎異抄をひらく』から1年5カ月の現状」に詳しいが、その「歎異抄解説書」が『歎異抄をひらく』発刊後、1年5カ月経った今日も、新作はパッタリ見られなくなった。
異常な現象ではあるまいか。
この沈黙は、一体何を意味するのであろうか。
『歎異抄』をたたえる人たち
●西田幾多郎(明治3〜昭和20)
日本を代表する哲学者。京都大学で永年教鞭を執り、田辺元、三木清など、多くの優秀な哲学者を育てた。その哲学体系は〈西田哲学〉と呼ばれ、主著『善の研究』は、当時の学生の必読書だった。
●三木清(明治30〜昭和20)
西田哲学の流れをくむ京都学派の代表的な哲学者。ドイツに留学し、ハイデガーにも師事。戦時中、治安維持法により投獄される。刑務所で最後の論文『親鸞』を執筆中に獄死。「ぼくは親鸞の信仰によって死ぬだろう」と語っていた。
●倉田百三(明治24〜昭和18)
文学者。親鸞聖人と唯円を描いた戯曲『出家とその弟子』は大ベストセラーとなり、各国で翻訳された。フランスの文豪ロマン・ロランが激賞したことでも有名である。
●司馬遼太郎(大正12〜平成8)
歴史小説家。「明治以前の文章家のなかで、平易達意の名文家は、筆者不明の『歎異抄』と室町末期に本願寺を中興した蓮如上人(白骨の御文章)と宮本武蔵のほかにはみられない」(『真説宮本武蔵』)
●齋藤孝(昭和35〜)
教育学者であり、明治大学文学部教授。「『歎異抄』を声に出して読むと、親鸞が生の声で自分に語ってくれているという感触が伝わってきます」「この(歎異抄の)言葉そのものに出会うことができなかったとしたら、おそらく、日本人にとっては非常に大きな損失であったでしょう」(『音読テキスト③歎異抄』)