仏教の根幹・三世因果の教えと"今"を強調された親鸞聖人
「汝ら、過去の因を知らんと欲すれば現在の果を見よ。未来の果を知らんと欲すれば現在の因を見よ」(釈尊)
過去も未来も現在に収まるという「三世因果の道理」を説かれたお言葉である。仏教の根幹は因果の道理。
「道理」とは三世十方を貫くものをいい、いつでもどこでも変わらぬ普遍の真理をいう。「因果」とは原因と結果のことであり、どんな結果にも必ず原因がある、原因なしに起きる結果は万に一つもないと説くのが仏教である。
私が生まれたのは、一つの結果だ。
私はなぜ、13億人の中国でなく、1億2000万の日本に生まれたのか。江戸時代に生まれた人、明治に生まれた人、平成に生まれる人もいる。
大正、昭和に生まれ戦争に駆り出され虫ケラのように命を奪われた若者は数知れぬ。平和な世に生を受けていたら、全く変わった人生であったに違いない。
67億の人はあっても、誕生した時も所も、容姿も才能も同じ者は一人もいない。
一生を左右するそれらのことが、何によって決まったのか。
一人一人の結果が異なるのは、67億、各人各様に異なった原因があったからである。
今の境界に生まれた原因は当然、生まれる前の「過去」になければならない。
その原因を知りたければ、分かる方法があると釈尊は「過去の因を知らんと欲すれば現在の果を見よ」と仰っている。
仏教は原因と結果の関係を、
「善因善果 悪因悪果 自因自果」
と教える。
善いタネを蒔けば幸福という善い結果、悪いタネを蒔けば不幸や災難の悪い結果が引き起こる。
善い結果も悪い結果も、自分の運命のすべては、自分の行為が生み出したものであり、例外は絶対に無い。
だから現在の結果を見れば、過去の種蒔きが分かるのだ。悪果に苦しんでいるのは、誰のせいでもない。悪い行いを過去にやってきたからだと教えられる。
過去は、もはや変えられぬ。最も知りたいのは、未来の結果であろう。それが知りたければ「未来の果を知らんと欲すれば現在の因を見よ」と釈尊は教示されている。
未来の結果は現在の種蒔きを見れば分かるのだ。光(善)に向かう人には、必ず善果が生じ、闇(悪)に向かって走る者の末路は必ず苦患の暗黒に沈むのだ。
されば仏教の根幹・三世因果の道理は、現在の自己を徹見せよ、現在の自分が明らかに知られれば、過去も未来も皆分かると教えられている。
今の一念に、悠久の過去も永遠の未来も収まっているからだ。
この三世因果の道理を根幹に親鸞聖人は、弥陀の本願真実を「平生業成」「現生不退」「不体失往生」と開顕されている。
徹底して"今"の救いの強調である。仏教の真髄を鮮明にされた聖人が、「世界の光」と尊崇されるゆえんである。