聴聞とは何を聞くのか
阿弥陀仏の本願に救われ絶対の幸福になるには、どうすればよいのでしょうか。「聴聞に極まる」と釈迦も親鸞聖人も教えられています。
釈迦が阿弥陀仏の本願を明かされた本願成就文には、
「聞其名号(その名号を聞いて)」
と明言されているからです。「聞く一つで救う」というのが阿弥陀仏のお約束なのです。
では、何を聞くのでしょうか。それは「名号」と明示されています。名号とは南無阿弥陀仏のことです。
蓮如上人は、次のように仰っています。
「南無阿弥陀仏」と申す文字は、その数わずかに六字なれば、さのみ功能のあるべきとも覚えざるに、この六字の名号の中には、無上甚深の功徳利益の広大なること、更にその極まりなきものなり。
(御文章5帖目13通)
「南無阿弥陀仏」の名号は、わずか六字だから、それほど凄い働きがあるとは思えないだろう。しかしそれは、猫に小判、豚に真珠で、我々に名号の大功徳を知る知恵がないだけなのだ。この六字の名号には、私たちを最高無上、絶対の幸福にする限りなく大きな働きがあるのである。
親鸞聖人は、その「南無阿弥陀仏」の働きを「破闇満願」と明らかにされています。
無碍光如来の名号と
かの光明智相とは
無明長夜の闇を破し
衆生の志願をみてたまう
(高僧和讃)
無碍光如来とは、阿弥陀如来の別名です。その南無阿弥陀仏の名号には、無明長夜の闇を破り、絶対の幸福にする働きがあると喝破されています。
無明長夜の闇とは、無明の闇ともいい、死んだらどうなるか分からない闇の心のことです。どんな「生き方」をしても、100パーセント、死は避けられません。いかに金や物に恵まれても、科学が進歩して生活が便利になっても、不安がなくならないのは、この無明の闇のためです。これこそ、人生苦悩の根元なのです。
この無明の闇を平生の一念に破って、私たちを絶対の幸福に救い摂り、死ねば必ず浄土に往生させる力が、南無阿弥陀仏の名号の働きなのです。
だから蓮如上人はこう道破されています。
一切の聖教というも、ただ南無阿弥陀仏の六字を信ぜしめんがためなり。
(御文章5帖目9通)
「一切の聖教」とは釈迦の一切経をはじめ、七高僧方の書物のことです。釈迦が生涯教えられた仏教は、南無阿弥陀仏の大功徳一つを説かれたものなのです。
そして、この南無阿弥陀仏は、「聞く一つ」で頂けることを明らかにされたのが有名な善導大師の六字釈です。
親鸞会館の二千畳では常に、この南無阿弥陀仏の大功徳が説かれています。その六字のいわれを「聞く一つ」で絶対の幸福に救われ、死ぬと同時に浄土往生間違いない身になれるのです。