弥陀の本願と親鸞聖人
弥陀の本願まことにおわしまさば、釈尊の説教、虚言なるべからず。
仏説まことにおわしまさば、善導の御釈、虚言したまうべからず。
善導の御釈まことならば、法然の仰せ、そらごとならんや。
法然の仰せまことならば、親鸞が申す旨、またもってむなしかるべからず候か。
(歎異抄2章)
〝弥陀の本願がまことだから、唯その本願を説かれた、釈尊の教えにウソがあるはずはない。
釈迦の説法がまことならば、そのまま説かれた、善導大師の御釈に偽りがあるはずがなかろう。
善導の御釈がまことならば、そのまま教えられた、法然上人の仰せにウソ偽りがあろう筈がないではないか。
法然の仰せがまことならば、そのまま伝える親鸞の言うことも、そらごととは言えぬのではなかろうか〟
750年ほど前、京にまします親鸞聖人の元へ、関東から命懸けで訪ねてきた同朋たちに対する、聖人の直言である。
「弥陀の本願まことにおわしまさば」を、「本願が、まことであるとするならば」と仮定で領解する人が多いが、ここは、「弥陀の本願まことだから」の断定にほかならない。親鸞聖人には、弥陀の本願以外、この世にまことはなかったのだ。
「誠なるかなや、摂取不捨の真言、超世希有の正法」(教行信証)
〝まことだった、まことだった。弥陀の本願まことだった〟の大歓声をはじめ、親鸞聖人の著作はどこも、「弥陀の本願まこと」の讃嘆で満ちている。「弥陀の本願まこと」が常に原点であった聖人が、仮定で本願を語られるはずがなかろう。
関東での20年間、聖人の布教は、「往生極楽の道は、弥陀の本願以外なし」ということ一つだった。だが、聖人が京へ戻られた後、日蓮の「念仏無間」の大謗法や、長子・善鸞の「秘密の法文」の邪義などによって、関東の同朋の信仰は、大きく動乱した。
彼らにとって、一番信用できるのが聖人であり、どうにもハッキリしないのが阿弥陀仏の本願なのである。親鸞さまが、法然、善導、釈尊の教えは〝まことだ〟と言われるから、彼らは「弥陀の本願」を信じているのだ。
その弥陀の本願に疑惑が生じ、疑い晴らそうと来た人たちに、親鸞聖人は、何の証明も解説なしに、彼らの最も曖昧な「弥陀の本願まこと」を大前提に、話を進められている。
これでは話し方が逆ではないか、と思う人もあるだろう。
だが一方、弥陀の本願に相応し救い摂られた親鸞聖人には、何よりも疑いようのない明らかな〝まこと〟が、「阿弥陀仏の本願」のみなのである。
たとえ釈尊、善導、法然にウソ偽りがあろうとも、弥陀の本願と直結された聖人の「本願まこと」の信心は、微動だにもしないのだ。
他力金剛心と言われるゆえんであり、これこそが人生の目的なのである。