弥陀に起こさしめられる
「欲生我国(浄土に生まれたい)」の心
生ある者は必ず死に帰す。すべての人は、死の滝壺に向かう船で川下りをしているといえよう。記録を更新した、世界遺産に登録されたと喜んでいても皆、船の中での出来事である。
喜びも悲しみも、船もろとも暗い未来に向かっているとすれば、生きることに真の安心がないのもうなずける。望みがかなっても一時の満足で、どんな喜びも続かないのは、この後生の一大事に魂が気づいているからである。
苦より苦に入る私たちを哀れに思われた本師本仏の阿弥陀仏は、必ず浄土に往けるとハッキリする「往生一定」に、一念で救い摂ると誓われている。弥陀に救われ往生浄土することこそ、仏教の究極の目的なのである。
王舎城の悲劇から
だが、そのように聞くと、「私は滝壺に落ちるのは嫌だし、恐ろしい。だけれども、弥陀の浄土に生まれたいとは思わない」と言う人もあるだろう。そんな人に浄土に生まれたい心が起きるまで、阿弥陀仏と釈迦はどう導いておられるのか。
2600年前、釈迦在世中に起きた「王舎城の悲劇」のヒロイン・韋提希(いだいけ)夫人を通して、その道程が『観無量寿経』に説かれている。
親不孝で狂暴に育ったわが子、アジャセ太子によって王舎城の牢に幽閉された韋提希は、この世の地獄でのたうち回る。頼みの綱は、釈尊しかなかった。
必死に救いを求める韋提希のために、かたじけなくも釈尊は、『法華経』の説法を中断してまで、牢獄に降臨されたのである。
ありったけの愚痴をぶつける韋提希を、釈迦は半眼のまなこで、静かに見つめられているだけだった。無言の説法に、とうとう韋提希は精も根も尽き果て、五体投地した。
「私は何のために生まれてきたのでしょうか。来世は二度と、こんな地獄は見たくない。どうか私を、苦しみのない世界へ行かせてください」
ようやく口を開かれた釈迦は、眉間の白毫相より光明を放って、十方諸仏(大宇宙に無数にまします仏方)の国土を展望させられる。中でも、ひときわ輝く弥陀の浄土に、韋提希は目を輝かせて教えを請う。
「十方諸仏の国土は、いずれも結構なところではございますが、私は、阿弥陀仏の極楽浄土へ生まれとうございます。それには、どうすればよろしいのか。仰せのとおりにいたします」
“弥陀の浄土へ生まれたい”これ一つを願わせたいのが目的だった釈迦は、初めて会心の笑みを漏らされる。かくして説かれたのが、『観無量寿経』の説法である。
この『観無量寿経』には、一切経が収まっている。『観無量寿経』まで釈迦の説かれた教えは、ひとえに“弥陀の浄土へ生まれたい”という心を起こさせるためだったのである。
浄土へ生まれたい心
『観経』で釈迦は韋提希に、浄土に往きたければ「定善(心をしずめておこなう善)をしなさい」「散善(散り乱れた心のままおこなう善)をしなさい」と、善を勧められている。善を勧めるには、因果の道理から教えなければ始まらない。だから釈迦は一生涯、「善因善果 悪因悪果 自因自果」(善いタネを蒔けば幸福という善い結果、悪いタネを蒔けば不幸や災難という悪い結果を引き起こす。善いのも悪いにも、自分の運命は、すべて自分の行為が生み出したものである)を徹底されたのである。韋提希夫人も釈迦に帰依してより、この大宇宙の真理を聞いて行いを改め、廃悪修善(悪をやめ善に励む)に努めたことは言うまでもない。ビンバシャラ王とともに仏法を厚く保護し、建立した寺院は2600年たった今日まで知られている。
教えのとおり実践していた韋提希が、『観無量寿経』の説法で「浄土に生まれたい」という心が起きた時、釈迦は会心の笑みを漏らされた。
その心が起きたのは、弥陀が十九願(弥陀の建てられた四十八願中、十九番目の誓い)に「我が国(極楽浄土)に生まれたいと欲って善をせよ」と誓われているからであり、全く弥陀に起こさしめられた心だったのである。
弥陀の創られた道
どんな人にも、滝壺を恐れる心がある。だから、ちょっとでも病気になると医者や薬を探す。だが、「真実の弥陀の浄土に生まれたい」という心は、真実のカケラもない我々には、出ようがないのである。
十九願から二十願へ誘引し、十八願に入れる三願転入が、弥陀の創られた唯一の道だから、この軌道に乗らなければ、十方衆生(全ての人)は誰一人、助からない。何とかこの軌道に乗せようと、釈迦は弥陀の十九願の解説を生涯の任務とされたのである。
三願転入の教えにしたがい、光に向かって進ませていただこう。