他力の信心から三世十方を貫く教えが説かれる
「オレは、これだけ苦しんだ。そして信心を獲られたのだ」「オレは、いつどこで、どうなって獲信した」と、具体的な「体験」を語るのを聞いたことがないだろうか。聞いた人は、「ああなったら救われるのか」と設計図を自ら描き、真似しようとするだろう。
しかし、他人と同じ体験をすることなど、できるものではない。
火事に遭ったといっても、すぐ逃げて無事な人もいれば、逃げ遅れて重傷の人、這って脱出した人、飛び降りた人、新築の家が全焼して悲嘆に暮れる人、家族を亡くした人もある。また、その時の心境は人それぞれだ。一人一人異なるのが体験の特徴であり、一味になることは絶対にありえない。
それら各人各様の体験に対して、弥陀より賜る「他力の信心」は、古今東西、誰が頂いても変わらない一味の信心である。
だが、常識を自負する人ほど、万人が一味になれる信心など想像もできないから、弥陀に救われたといっても、「信心は人それぞれ」と考える。その根深い迷いを正さんと、法友と激突されたのが、親鸞聖人の「信心同異の諍論」である。それは聖人が法然上人のお弟子であった時、法然門下の高弟といわれていた聖信房・勢観房・念仏房を相手になされた論争だった。聖信房らの主張は、こうである。
「智恵第一の法然上人の信心と、我々の信心が同じになれるはずがない。異なって当然だろう」
彼らがいかに法然上人を尊敬していたかは、よく分かる。そんな法友たちの意見を、真っ向から否定されたのが聖人であった。
「法然上人の信心と親鸞の信心は同じでございます。それは決して、お師匠さまと智恵や学問、才覚が同じだというのではありません。信心のことを言っているのです」
この発言に、彼らは驚き戸惑い、やがては師匠を冒涜する高慢野郎と強い不快感をあらわにした。三人には、万人が一味になれる信心など、到底考えられなかったからであろう。
この時の判決文ともいうべき、法然上人の言葉が『御伝鈔』に残されている。
「信心の、かわると申すは、自力の信にとりての事なり。すなわち、智慧各別なるが故に信また各別なり」
信心が同一でないのは、「自力の信心」であるからだ。そのものズバリの法然上人の言葉に驚く。
「自力の信心」とは、各人各様の智恵や学問、経験などで固めたものをいう。
賢い人、愚かな人、善い人、悪い人、背の高い人、低い人、同じ人はないように、学問や才能、経験なども、千差万別、億差兆別である。それらのもので信じ固めた「自力の信心」に、万人共通などあろうはずがない。異なるのが自力の信心の特徴なのである。
ところがここで、万人共通の驚くべき「信心」の厳存を、法然上人は次のように喝破されている。
「他力の信心は、善悪の凡夫、ともに仏の方よりたまわる信心なれば、源空(法然)が信心も善信房(親鸞)の信心も、さらにかわるべからず。ただ一なり」
万人が同一になれる信心とは、「他力の信心」のことである。
「他力の信心」とは、智恵や才能、学問や経験、善人悪人などとは関係なく、阿弥陀仏から賜る信心であることを、まず明示して、こう断定されている。
「慈悲平等の、仏から賜った信心に、相違があろうはずがない。法然の信心も親鸞の信心も、ともに他力の信心、全く同じである」
テレビ局が同じなら、各家庭のテレビが、大・小、新・旧、異なっても、放送内容が変わるはずがない、のに例えられよう。
「他力の信心」は、弥陀より賜る信心だから、古今東西、変わらないのは当然である。その真実信心から説かれるのが「真実の教え」だから、教えもまた三世を貫き十方を遍く。
だが「信を獲るまで、こんなに苦しんだ」という「体験」は、自力信心の特徴が顕わに表れている。
そんな体験は、聞けば聞くほど、自分もしようとするから、害にしかならない。だから親鸞聖人をはじめ善知識方(弥陀の本願を正しく伝える師)は、いつどこで信を獲たという体験は一切、書き残されていないのである。
「オレが」「オレが」と自己を語るのは、自慢か愚痴であり、決して真実の教えではない。親鸞聖人の教えを学ぶとは、各人各様の体験談を聞くことではなく、三世十方を貫く教えを学ぶことなのである。