「おかしな話」に終止符を

同朋の里

 映画『なぜ生きる』(※)の中で、蓮如上人は古今東西の「おかしな話」として、こう説かれている。

 すべての人間は生まれた時、空と水しか見えない大海に放り出されるのだ。泳がねば沈むから、私たちは必死に泳ぐ。しかし、やがて必ず土左衛門(※)にならねばならぬのに「どう泳ぐか」「泳ぎ方」しか考えていない。

 泳ぐとは生きること。私たちは生まれると同時に「どう生きるか」に一生懸命で、やがて必ず死ぬのに「生き方」しか考えていない。「おかしな話」ではありませんか、と問われている。

 政治も経済も科学も医学も芸術もスポーツも「生き方」の追究である。より安全に、より便利に、楽しく、どう生きるか。例えば医学ならば少しでも命を延ばすことだから、どう長く生きるかである。

 人類の思想は、ここから一歩も出ないのだ。

 もちろん「生き方」も大事であるが、生き方しか考えない人生の結末はどうだろう。

 たとえ人生100年になろうと、必ず死ぬことは変わらない。泳ぐ時間を少し長引かせても、泳ぐ目的が分からなければ、やがて土左衛門になる。なのに人類は生き方しか考えていないのである。

 こう言えば種々の反発が出てくるだろう。例えば、仕事や子育て、ノーベル賞、人類への貢献などなど。

 昨年日本人が受賞したノーベル賞は、ガンの免疫療法につながる研究であった。今は2人に1人がガンになる時代。尊厳な命を守る優れた研究だから、ノーベル賞も当然だろう。では、延びた命で何をするのか。それに答えはない。ノーベル賞もやはり生き方の一つなのである。

 古今東西、あらゆる人は、生き方しか考えられないから、それを生きる目的と思い込み、一生を投入して何の不審も持たない。

 この実態を蓮如上人は「おかしな話」と言われているのだ。

 もちろん、どう泳ぐかも大切である。だが泳いでどこへ行くかはもっと大事ではなかろうか。

 不動の明瞭な目的があって初めて、生きる苦労が報われる。最も重要なのは「なぜ生きる」という「生きる目的」なのである。

 親鸞聖人が生涯懸けて明らかにされたのは、この「なぜ生きる」の答え一つであった。それは生き方とは、根本的な違いがある。

 やがて必ず死ぬのに生き方しか考えていない人類の実態は、まさに「おかしな話」なのである。我々は、この実態を全人類に鮮明にして、「おかしな話」に終止符を打たねばならない。

 これが「おかしな話だなぁ」と知らされ驚く人から、親鸞聖人の「なぜ生きる」の答えに誘引され、出世の本懐を遂げられよう。


論説 語句説明

※【映画『なぜ生きる』】 映画『なぜ生きる』――蓮如上人と吉崎炎上

※【土左衛門】 溺死者の死体。

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