明るい日本をつくろう
毎年夏になると、山や海での痛ましい事故が報じられている。一人でも命が救出されたと聞くと、ほっと胸をなで下ろし、救助者の勇気ある行為に、心から拍手を送る。
だが一方で、同じその命を弊履のごとく捨て去る人も、後を絶たない。自殺である。彼らは、人命の尊厳を真っ向から否定し、生きること自体を拒否する。
この自殺防止に、国も各地の市町村も、挙げて取り組んでいるが、増えこそすれ減っていないのが悲しい現実だ。
「死んではいけない」「苦しくても、生きていこう」の説得も空しく、「何のために生きるの」「生きて何処へ行くんですか」と反問されて終わりである。
なぜ人命が尊いのか、本当の理由を誰も知らないからであろう。
人は皆、訳も分からずこの世に生まれ、意味もなく生き、行き先知らぬまま死んでいく。
おかしなことに、この事実を誰もおかしいとも思わない。いや、内心おかしいと感じる人も、疑問を押し殺して生きている。どうせ答えはない、声を上げても仕方ないよ、とあきらめているのだろうか。
より敏感な人は、この欺瞞に耐えきれず、馬鹿馬鹿しい人生に自ら終止符を打つ。
かかる不条理の中で仏縁に恵まれ、親鸞会と出会い、親鸞聖人の教えによって生きる目的を知らされた人は何と幸せであろう。
親鸞会会員は、親鸞聖人の教えの通りに生きる。それは「すべての人をこの世から未来永遠の幸福に救いきる」阿弥陀如来の本願に生きるということである。
一人、二人の命ではない。この世、50年乃至100年の事だけでもない。永久の救いを誓われた阿弥陀仏の本願の広大さ、深さ、尊さは、他に比類がない。
真宗2000万門徒というけれど、今や親鸞聖人の教えを正しく知る人は皆無といっていいだろう。
仏教国とは名ばかりで、日本人1億2000万の大半は、阿弥陀仏とお釈迦様の違いさえも知らない。
いわんや、万人救済の弥陀の願心など、世界65億の誰が知り得よう。
そんな中にあって、親鸞聖人の教えを知った人は、学校でも職場でも家庭でも、あの人はどこが違う、何かある、と注目され、光る存在になれる。
生きる意味を知って、元気に学び、働こう。
そして世の中を明るく浄化していこう。
心ある若者たちに、大いに期待したい。