平生業成とは|親鸞聖人の教えのすべてを表す言葉
「平生業成(へいぜいごうじょう)」という言葉をご存じでしょうか。
これは、親鸞聖人の教えを、ひと言で表された言葉です。親鸞聖人から出た言葉ですから、親鸞聖人が生まれられるまでは「平生業成」という言葉はありませんでした。
「親鸞聖人は、どんなことを教えられたのですか?」
と尋ねられて、
「平生業成の教えです」
と答えれば100点満点。
親鸞聖人は約850年前、京都にお生まれになり、90歳まで長生きされました。その90年間の親鸞聖人の教えを、漢字4字で表した浄土真宗の一枚看板が「平生業成」なのです。
看板といえば、それを見れば、その店が何を売っているか分かるもの。
「八百屋」という看板があれば、「野菜が売られているのだな」と分かります。
「○○書店」とあれば、「本を売っているのだな」と分かります。
それを見れば、何を売っているか分かるのが「看板」ですから、看板は大変大事なものです。
もし魚屋に「八百屋」という看板が出ていたら、その店はどうなるでしょう。
野菜がありませんから、野菜を買いに来た人は腹を立てて帰って行きます。
魚が欲しい人は誰も来ませんから、店はすぐに倒産してしまいます。
ですから、看板は非常に大切なものです。
親鸞聖人の教えの一枚看板が「平生業成」と言われるのは、世界に宗教多しと雖も、親鸞聖人しか教えられていないのが「平生業成」の教えだからです。
「平生」とは、死んだ後ではない、生きている今、ということです。
「業」とは事業の業の字を書いて、仏教では「ごう」と読みます。
親鸞聖人は、人生の大事業のことを「業」といわれています。大事業といいましても、松下幸之助が一代で世界的企業を興した事業や、徳川家康の天下統一の事業などではありません。
人生の大事業ですから「人間に生まれてきたのはこれ一つのため」という万人共通の大事業のこと。「人生の目的」ということです。
人は何のために生まれてきたのか、何のために生きているのか、苦しくともなぜ生きなければならないのか、ということです。すべての人にとって、これ以上大切なことはありません。
最後の「成」とは、完成する、達成するということです。
人生には、「これ一つ果たさねばならない」という大事な目的がある。それは現在、生きている今、完成できる。だから早く完成しなさいよ、と教えられたのが親鸞聖人ですから、親鸞聖人の教えを「平生業成」の教えというのです。
ところが、今日、「平生業成」という言葉がどのように使われているかといえば、観光バスのガイドさんなどが、「皆さんの平生業成が良かったから、今日は良い天気になりましたね」とか、「あなたの平生業成が悪かったから、こんな事故にあったんだ」などと、平生の行いという意味で使われています。
親鸞聖人の教えの一枚看板である平生業成という言葉が、このような間違った意味で使われているということは、「世界の光」である親鸞聖人の教えが、全く伝えられていない、ということです。
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