警鐘・親鸞聖人の教えと異なることを語る者たちの特徴 (1/3)
親鸞聖人ご自身の獲信の体験告白 ~三願転入~
「どんな人も、必ず絶対の幸福に救う」
阿弥陀仏の救い一つを明らかにされた方が親鸞聖人です。
その親鸞聖人に、「どのようにして弥陀に救われたのですか?」とお尋ねして、聖人がお答えになったご自身の獲信の体験告白が、三願転入のご文です。
三願転入とは
【三願転入のご文】
ここを以て、愚禿釈の鸞、
論主の解義を仰ぎ、宗師の勧化によりて、
久しく万行・諸善の仮門を出でて、永く雙樹林下の往生を離れ、
善本・徳本の真門に廻入して、偏に難思往生の心を発しき。
然るに今特に方便の真門を出でて、選択の願海に転入し、
速に難思往生の心を離れて、難思議往生を遂げんと欲す。
果遂の誓、良に由有るかな。
「幸いにも親鸞は善知識方のお導きによって、弥陀の19願から20願に誘引され、それらのご方便により今、18願、真実へ転入させていただいた」
阿弥陀仏が建てられた48願のうち、十方衆生(すべての人)を相手に誓われているのは、18・19 ・20願の三願のみです。
親鸞聖人は、この三願に真実願(18願)と方便願(19・20願)のあることを明らかにされ、方便から真実へと弥陀に導かれ、救われた自らの体験を、上記の「三願転入」のご文に示されているのです。
19・20の二願は、すべての人(十方衆生)を、18願(真実)に転入させる弥陀のお計らい(方便)です。
弥陀の救いにあうまでのこの三願転入の道程は、親鸞聖人お一人のことではなく、すべての人(十方衆生)が対象の弥陀のお計らいだから、万人共通の道程であると、親鸞聖人は明言されているのです。
このように、すべての人に通ずる、親鸞聖人の三願転入のような表現ならば、聞けば聞くほど、知れば知るほどよいのですが、他の獲信した人には通じない、それぞれ異なる各自の体験は、聞けば聞くほど、知れば知るほど悪いのです。
ところが、親鸞聖人が一切おっしゃらなかったような各人各様の体験を吹聴し、聖人の教えを真面目に求める人を惑わす者たちがあります。「いつ、どこで、誰のもとで、どのようにして弥陀に救われた」という各人各様の個人的な信仰体験を語り、それを売り物にして人集めをしているのです。そこには、どんな問題があるのか。ここで明らかにしたいと思います。
>> 群賊・悪獣・悪知識 ~親鸞聖人の教えにないことを語る者たち~