史上最大の宗教弾圧
「承元の法難」は1冊の本から起こった (1/6)
800年前、仏教界を震撼させた1冊の書物があった。
法然上人の主著『選択本願念仏集(せんじゃくほんがんねんぶつしゅう)』である。
あまりにも大きかったその衝撃は、未曽有の法難へとつながっていった。
自己の保身のため
神信心にすり寄る仏教
鎌倉時代初期は、まだ日本仏教史の夜明け前であった。
仏教といえば、八家九宗といい、天台、真言、華厳、法相など、自力聖道の仏教ばかり。
しかも大きな問題があった。神信心と一体だったのである。
日本には古来から、神国日本という思想が根強い。神道と相いれない仏教が中国から渡来すると、当然、風当たりが強くなり、対立が生まれた。
そこで天台や真言などの聖道門の者たちは、神信心と妥協するしかないと考え、仏教の本地垂迹説(ほんじすいじゃくせつ)をネジ曲げて「神仏一体」という邪説をデッチ上げたのである。
「本地垂迹説」とは何だろう。
仏が衆生済度のために、種々の神や人畜に姿を変えて現れることがあるという教えである。だが、これは仏の境界であり、我々凡夫の知りうる世界ではない。
「如来の功徳は仏のみ自ら知る。唯世尊(仏)のみあって能く開示す」
(無量寿如来会)
と釈尊が仰っているとおりである。
だが彼らは保身のため、日本神道の神を勝手に仏や菩薩と結びつけ、神は皆仏や菩薩の化身であるとした。
熊野権現(くまのごんげん)を実は阿弥陀仏の化身であると言ったり、伊勢神宮に祭っている天照大神(あまてらすおおみかみ)は、元は大日如来であるとした。
「神を拝み、国の繁栄を祈願する」仏教となり、権力者にすり寄っていったのである。
これを親鸞聖人は、
「かなしきかなやこのごろの
和国の道俗みなともに
仏教の威儀をもととして
天地の鬼神を尊敬す」
と悲嘆なされている。