史上最大の宗教弾圧
「承元の法難」は1冊の本から起こった (6/6)
『選択本願念仏集』のその後
『選択集』が起こす疑謗の砂塵は、法然上人ご逝去後もやまなかった。嘉禄3年(1227)には延暦寺門前で『選択集』の焼却が行われ、版木(印刷するために文字を彫った板)が焼き捨てられる事態に至った。
『選択集』を巡る弾圧の歴史
法然上人ご遷化後も、激しい疑謗破滅の嵐が吹き荒れている
建久9年(1198)
・法然上人、『選択集』を選述。
承元元年(1207)
・承元の法難、起きる。
建暦2年(1212)
・法然上人、浄土に還帰なされる。
・華厳宗の明恵『摧邪輪』3巻で『選択集』を批判。
貞応3年(1224)
・延暦寺の奏上で専修念仏を禁止。
嘉禄元年(1225)
・比叡山の定照が『弾選択』で『選択集』を批判。
嘉禄2年(1226)
・法然上人の弟子・隆寛が『顕選択』で定照を徹底的に論破。
嘉禄3年(1227)
・延暦寺の僧兵、東山大谷にある法然上人の墓を破壊。
・法然上人の弟子の隆寛、空阿、幸西の3名が遠流、念仏者40名が京から追放される。
・延暦寺の僧兵、『選択集』を焼き捨て、その版木を焼却する。