擬似体験のコツ
(体験記を読ませ、体験談を聞かすこと)

 獲信したと思っている者は、
「私が信心決定した時は、ああだった、こうだった」
「オレが信心獲得した時は、こうなった、ああなった」
と体験話をしたがる。
 いわゆる珍しい話である。

 信仰を求めている人はまた、そんな体験談を異常に聞きたがる。何時の時代も何処の里もそれは変わらぬ。
 体験至上主義者の絶えぬ理由もそこにあり、擬似体験の温床ともなっている。

 そんな擬似体験の近道は、具体的な体験を多く聞いたり読んだりすることだ。
  種々な体験談の学習が彼らの一番の「教学」となる。寄ると触ると体験話がされる所以である。

 体験談で洗脳された頭へ「予定観念を捨てよ」とどんなに言われても、繰り返し聞かされたことは余計に思い出す。憧れの体験である。
 そんな暗示に無関係な人があればおかしかろう。

 擬似体験に陥って当然である。そこへ知識や一味の者たちから「良かったね」「幸せね」と祝福されれば、獲信したのかと思い込むのもまた無理からぬこと。
 菩薩の怖れる七地沈空(しちじちんくう)の難とはケタ違いだが、やはり中々出れぬ落とし穴である。

 体験談や体験記が命だから出版物は体験記ばかり。体験談を語ったり聞いたりする「ご示談」と言われる座談会以外法座はないと言われるほど、多く設けられるのも頷ける。

 座談会偏重の批判には、「蓮如上人も、座談(示談)を大いにお勧めになっているじゃないか」と彼らは反論する。
 当然、起きる信仰の不安や動揺、空しさの訴えには「信後の悩み」だと説き諭す。

 体験談を読ませたり聞かせたりすることこそが擬似体験の重要なカラクリだが、千万もあると釈迦が説かれる擬似体験だ、供給にこと欠くことはない。
 体験談に弱い人間が絶えない限り、疑似体験者もまた絶えないだろう。

 親鸞聖人や覚如上人、蓮如上人にそのような御文が遺されていないのは、これらの深い洞察があったからに違いない。

罪ふかし 自慢ばなしに する仏法

体験談 ほかに売り物 さらになし

 

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