親鸞聖人750回忌法要勤修(2日目)|親鸞会
親鸞聖人750回忌の2日目の午前は、高森顕徹先生から、初日に引き続いて、親鸞聖人の「御臨末の御書」について詳しく聞かせていただきました。
また、午後には親鸞会恒例の弁論大会が開催され、7人の弁士と二千畳の法友が一つになった2時間でした。涙と笑い、そして、親鸞聖人の教えを伝える喜びにあふれていました。
写真で、親鸞聖人750回忌2日目の様子を振り返ってみたいと思います。
親鸞聖人750回忌2日目(10月9日)
親鸞聖人750回忌記念 大弁論大会
2日目は、午前の講演に続き、午後から親鸞聖人750回忌記念大弁論大会が行われ、7人の弁士が雄弁を競い合いました。
弁士の一人、広島県の親鸞会会員、望月義明さん(仮名)は、これまでを振り返り、新興宗教に迷った末、思い直して『正信偈』を習おうと25年間、寺に通ったものの、「一言の意味も教えてもらえなかった」ことの経緯を発表。
平成20年の親鸞聖人降誕会で、初めて高森顕徹先生の講演を聞き、本当の親鸞聖人の教えを知らされた望月さんは、すぐに自宅の御仏壇に南無阿弥陀仏の御名号本尊をお迎えしました。
その後、自宅を訪れた住職が、御仏壇の御名号本尊を見て、「こりゃ紙切れじゃ」と言ったので、『大無量寿経』の本願成就文に記されている「聞其名号 信心歓喜」(※1を参照)のご文を示し、正しい親鸞聖人の教えを明らかにしたことを熱弁しました。
住職が教えを知らない現状を嘆き、こんなことだから「仏法が広まらないんだ」と悔しさを訴えました。
「真宗の家に生まれながら教えを知らされず、私はまさに真宗難民でした。苦しみ悩みの難度海の人生にあふれる真宗難民に、親鸞聖人の教えを伝えます」と誇らしく誓い、会場には万雷の拍手が鳴り響きました。
(※1)
浄土真宗の正しい御本尊は「南無阿弥陀仏」の御名号
親鸞聖人がいちばん心血を注いで書かれた『教行信証』とは、親鸞聖人の教えの全てであり、一切経で最も大事なご文「本願成就文」の教えが明らかにされています。
その本願成就文の「聞其名号 信心歓喜 乃至一念」のご文から、所信の体(信ずる対象)は名号であることが明らかとなるのです。ここから親鸞聖人は、根本に尊ぶべき本尊を「御名号」と定められ、一生涯、御名号を本尊となされました。
その親鸞聖人の教えを、正確に伝えられた蓮如上人は、
「他流には『名号よりは絵像、絵像よりは木像』というなり。当流には『木像よりは絵像、絵像よりは名号』というなり」(御一代記聞書)
と仰り、他流(迷っている人たち)と当流(浄土真宗)を対照し、間違えようのない言い方で、「御名号」を御本尊とせよとお勧めです。
木像本尊に固執するのは、明らかに親鸞聖人の教えに違背しているのです。
親鸞会は蓮如上人の勧められた「信心の沙汰」を実践する
大弁論大会の終了後、親鸞会館や親鸞会の同朋の里の各所で信心の沙汰が行われました。
親鸞聖人の教えを真剣に聞き、人生の目的を果たす。そのために大切なことが、蓮如上人の勧めておられる信心の沙汰です。
信心の沙汰では、親鸞聖人の教えを「私はこう聞かせていただいた」「こんな気持ちで求めている」と、各自の信仰を語り合います。その信心の沙汰を通して、大変な聞き誤りが正されたり、今まで疑問だったことが、なるほどそうだったのか、と深く知らされるのです。
「物を言え物を言え。物をいわぬ者は恐ろしき。物を申せば心底も聞こえ、また人にも直さるるなり」
(蓮如上人『御一代記聞書』)
往生の正しい意味や、阿弥陀仏より賜る二つの廻向(※2)など、納得するまで語り合っていました。
「親鸞聖人は『御臨末の御書』に、命終わって浄土へ往っても、私たちを助けにすぐ還ってくると仰っています。なんて心強いお言葉かと、涙がこぼれました」
「でも同じ聖人が『有情利益はおもうまじ』、人を助けようという心は微塵もないとも仰るでしょ。ねえどうして?」
「そうそう、そこが矛盾としか思えませんでした。建前と本音ということでもないんですよね」
「もちろんです。阿弥陀如来から往相と還相(※2)、二つの廻向を一念で賜ればハッキリしますよ。そこまで真剣に聞かせていただきましょう」
(※2)
・廻向……差し向ける、与えるの意。
・往相……「往生浄土の相状」の略。いつ死んでも浄土往生間違いなし、という往生一定の身になったこと。
・還相……「還来穢国の相状」の略。阿弥陀仏に救われ、浄土往生した人が、娑婆世界に還って衆生済度すること(恩徳讃)。