親鸞会結成50年の軌跡
■ 浄土真宗親鸞会結成50周年
会館建立
「親鸞聖人の教えを聞きたい」
建立ごとに高まる聞法熱
最初の会館は昭和32年、富山県高岡市前田町に産声を上げる。本堂はわずか24畳だった。
日下部浩顧問は、当時の様子を振り返る。
前田町の会館(昭和39年)
「会館に入れなくて、窓の外から立ったまま聞く人もありました。雨の日は傘をさしたまま。廊下と本堂を仕切る障子戸も用意されていましたが、最初からいっぱいで、一度も使われませんでした。やがて左右に二間ずつ、敷地いっぱいまで増築されました。廊下もなくし、すべてを畳にして、一人でも多く座れるようにしたのです」
その後も参詣者は増え続け、昭和49年、高岡市芳野に、100畳の大広間がある大邸宅を購入。ここに本部が移された。
高岡市芳野に本部移転。増築部分も参詣者であふれていた(昭和61年)
しかし、親鸞聖人の教えは偉大である。たちまちここも、手狭となり、何度かなされた増築工事も追いつかず、車庫を改造した第2会場、プレハブの第3会場で急場をしのいだ。遠くから参詣しながら、テレビ映像でしか聴聞できない無念さから、「早く大きな会館を」の声は日増しに大きくなっていく。
昭和59年、小杉インター付近に、緑に囲まれた、聞法にうってつけの土地(4万坪)が大手製紙会社から売りに出され、粘り強い交渉の末、親鸞会が入手。新会館建設の機運は一気に高まった。
現在親鸞会館が建ってるあたり(昭和60年)
昭和63年、悲願の新本部会館(現本館)が建立される。盛大な落慶法要の講演の中で、高森顕徹先生は、何度も会館建立の目的、すなわち後生の一大事の解決を確認された。
「後生の一大事と比較するなら、こんな会館の百や二百、物の数ではありません。マッチ一本で燃えてしまう。後生の一大事は、こんな会館の1万や2万ではない、大変なことなのです」「私は皆さんに本当の親鸞聖人のみ教えをお伝えしなければならない。そのための本部会館建立であります」
親鸞会館(現・本館)落慶(昭和63年)