人生の曲がり角(前編)
「幸せになりたい」と娘は言った
関東 梶原一郎さん
「限られた命、世の見聞を広め、あらゆる経験を積めば豊かな人生になる。だからこそ今は懸命に働き、お金をためるしかない」
そう信じた梶原一郎さんは、大学を出て30年、仕事一筋に生きてきた。
だが、気がつくと、会社での立場も、家族との信頼や愛情も、何もかもが壊れかけていた。
「こんなはずでは……」。一郎さんはじっと手のひらを見つめた。
仕事で勝つ、人に勝利する
昭和28年、福岡県に生まれる。物心ついた時、すでに父親はなかった。
母親と、つつましく生きてきたが、その母もガンに冒され、この世を去る。
13歳で天涯孤独の身となった。
言いようのない不安で途方に暮れていた時、「おれのところに来い」と引き取ってくれたのが叔父だった。
かわいがられたが、いつまでも叔父の家の世話になるわけにはいかない。
早く一人前になろうと勉学に励んだ。
大学を卒業後、関東の電子機器の部品関連会社に入るや、たちまち頭角を現す。
牽引グループの一員となって赤字経営を立て直し、世界一の部品メーカーにまで引き上げた。
仕事で勝つ。人に勝利する。
人生という闘いの中で勝利こそが最大の価値と思えた。
会社で神経を擦り減らす分、家庭でのワンマンぶりは激しかった。
「オレが働いて糧を得て、家族を養っている」
その自負心が家族を威圧した。
食事中、「お茶!」「つまようじ!」と用事を言いつけ、すぐ動かないと手が上がる。
妻の典子さんは夫の食事が終わるまで腰を下ろせなかった。電子レンジで温めた皿が熱いとどなられ、風呂場の石鹸を変えただけで、「気に入らん」。
家族はいつも戦々恐々としていた。
理解できない娘の話
娘の芽生さんが大学に入学し、親鸞聖人のみ教えに出遇うと、家族間のきしみは一層ひどくなった。一郎さんの目には、娘が新興宗教に迷ってしまったとしか思えなかった。
「なぜ富山へ行くんだ?」
「仏法を聞いているんです」
「何のために?」
「幸せになるためです」
「幸福になる?」
他人との戦いに勝つことを至上の価値としてきた一郎さんに、娘の話は全く理解できなかった。
どうしても仏法を聞きたいという芽生さんと、宗教にすがるのは弱い人間だと決めつける一郎さんとは、どれだけ話し合っても平行線。
いつも「出ていけ!もうおまえは娘じゃない」の怒号で終わった。
「芽生があんな宗教に迷ったのは、おまえのせいだ」と、いらだちは毎日妻にぶつけられた。
家庭から笑顔が消えた。芽生さんは2年前、ついに家を飛び出した。
引き留めようと反対していたのに、結果的にたたき出してしまった。
だれもいない部屋に、時を刻む秒針の音だけがする。心にポッカリと穴が開いたように感じた。
それからなぜか、苦難の波が立て続けに押し寄せた。
これが人間の、私の行く道なのか
会社では突然の人事異動で、メインのプロジェクトから外された。
熱心に部下を指導してきたつもりが、厳しすぎると指摘を受けた。大きく頼り切っていた支えを失い、ふらふらになった。
その翌月、妻と見舞った90過ぎの義母の姿にも愕然とする。
4年前はしっかりしていたのに、「お母さん」と呼びかけても、分からない。これが人間の、私の、行く道なのか。
「どれだけ財があっても、肉体が衰えれば、楽しむこともできなくなるのだ」
これまでの人生観に、根底から疑問が頭をもたげてきた。
さらに4月、育ての親である叔父が亡くなった。
81歳、原因不明の突然死だった。
葬儀で福岡へ向かう飛行機の中、叔父との思い出が走馬灯のようによみがえる。
まるで実の息子のようにかわいがられ、いつも「親父」と呼び、杯を交わしながら、泣いて夜通し語り合うほどの仲だった。
どんどん一人にされていく。一郎さんは機内で声を殺して泣いていた。
次々やってくる不幸の大波に、溺死寸前の心境だった。
「もう裏切られたくない、幸せになりたい……」。心の底からそう思った時、脳裏をよぎったのは娘の言葉だった。
「私は幸せになるために、仏法聞いているの」
(後編につづく)
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