親鸞会大分大会
平成10年 別府ビーコンプラザ
親鸞会・大分大会が、平成10年5月15日、大分県別府国際コンベンションセンター(ビーコンプラザ)で開催された。演題は「後生の一大事」。高森先生は「白骨の御文章」を通してていねいに話をされた。
参加したY.Mさんは次のように語る。
「『白骨の御文』を詳しく聞かせていただき、『我や先、人や先』の蓮如上人のお言葉を、『人や先、人や先』としか聞かない私の姿勢を反省せずにおれませんでした。
また、『弥陀をたのむ』とは、『阿弥陀仏にお願いする』のではなく、『阿弥陀仏があてたよりになった』ことを言うのだと分かりました。多くの人が間違いやすいところを、平易な言葉で話をされる高森先生の説法に感激しました。」
Yさんの人生の転機となったのは、2年前の定年退職であった。
「何十年もの間、社会の荒波に翻弄されながらも耐えつづけ、生きるために心身をクタクタにしてきました。しかし、何一つとして成し遂げたというものがありませんでした」
自分は今まで何のために生きてきたのか、どんなに苦しくても生きねばならないのはなぜなのか、疑問は膨らむばかりであった。
平成9年の4月、一枚のチラシを縁に親鸞会主催の文化講座へ参加した。
そこには、これまで抱いていた人生の疑問のすべてに解答があったのである。
親鸞聖人の教えられた、人生の目的とは何か、もっと深く知りたいと、五月の降誕会へも参詣した。
高森先生の説法を聴聞し、阿弥陀仏の本願力によって、この世で大安心の無碍の一道に救われることこそ生涯かけて悔いなき道と知らされ、Yさんの聞法が始まった。
以来、九州各地での高森先生の法話、親鸞会講師の文化講座、会合にも積極的に参加している。
「家族そろって高森先生のご法話に参詣できるよう、まず私自身が率先して光に向かって進みます」
と、今後の抱負を語るYさんである。
親鸞会・大分大会に参加したO.Mさんは、
「子供のころから親しんできた『白骨の御文章』について、これほどまでに詳しく、分かるように教えられるのは初めてです。今日とも明日とも知れぬ無常を見つめ、阿弥陀仏をたのむ一念まで、聞法あるのみです」と語る。
Oさんが仏法に出遇えた喜びの裏には、長い道程があった。
真宗の盛んな町に生まれ、幼いころから仏法は尊いものと教えられて育つ。
「敗戦前は熱心な布教使が家々を歩き、寺院でも在家でも、信心の沙汰が絶えない環境でした」
と当時を語る。
ところが、敗戦後、まったくといっていいほど寺が仏法を説かなくなってしまう。
聞きたいと思っていた説法が聞けず、たまに話があっても世間話ばかりであった。
一時は、「寺は何をしているのだ」と不満をぶつけたものの、次第に、「これも時代の変化の現れ、仕方のないことか……」とあきらめへと変わっていった。
平成7年10月、近くで行われた親鸞会主催の文化講座に参加、ようやく親鸞聖人の教えに出遇えたのであった。
かねてより詳しく聞きたいと思っていた「後生の一大事」、「阿弥陀仏の本願」を平易な言葉で、力一杯説法する親鸞会の講師の姿に心打たれ、
「私一人ではもったいない。近所の人を誘ってきますから、ぜひ私の家で説法してください」と申し出た。
3週間後、Oさんの自宅で法話が開かれ、多くの人が仏法を聞くことが出来たのである。
以来、家族とともに、光に向かって進んでいる。