「これこそ真の浄土真宗や」
〜救われぬ近代教学〜
これは、「金子大栄、曽我量深先生以外の教えなど仏法ではない」と公言するほど近代教学を信奉していた大谷派住職K師が、臨終に信仰の破綻を告白した実話である。
「死後を説かないのは仏法じゃない」
発端はK師の入院である。
胃ガンだった。
昭和61年冬、その日を境にK師は一変。
「おれが一生やってきた教学が一切力にならん。どうしてくれる。おれは死んだらどうなるんや……」
手術を終え、退院すると、別人のように、経典と真宗聖典に向かい続けた。
「仏法のことは何でも分かったつもりで、人前で話してきた。先生と言われていい気になっていた。恥ずかしい。大馬鹿者だった」
突然のその懺悔が何によるのか、家族も当初は理解できずにいた。ただ、死に向かったK師の心に、大きな変化が生じたことだけは確かだった。
部屋には「無上妙果不難成 真実信楽実難獲」の『教行信証』のお言葉が掛けられている。
「真実の信楽、獲ること難しじゃ。間に合わん」
K師は何回も繰り返していた。
その年の10月、親鸞会の講師が、本堂で説法をした。
その時の「後生の一大事」の話を録音し、病床のK師に聞かせたところ、感極まった声で、
「そうや、こう説かないといかん。今はこういう説き方をせんようになったで、おかしくなったんや」
と言った。
家族は耳を疑った。
平素「親鸞聖人は、死後のことなど説いとらん」と言っていたK師が、「死後を説かないのは仏法じゃない」とまで断言したのだ。
「あれこそ真実の浄土真宗や。分からんかもしれんが、後生は一大事や。ええか、分かったか」
K師の真剣な訴えに、家族は、死後を説かぬ近代教学の誤りから目が覚めた。